雪は降る。しんしんと。家々の屋根を白く染め、街道筋を雪で覆ってゆく。夜の闇はなおひっそりと宿場町を包み込む。
少し湿った雪は木々に張り付き、枝をしならせる。わずかに行き交う人々は、足下の雪を気にしながらうつむき加減に、それぞれの宿へと道を急ぐ。人々の姿だけが彩色されて、寒々とした中にもかかわらず、生きる体温を感じさせる。
歌川広重の代表作であり連作としての評価の高い東海道五十三次。今回はその中の16枚目、日本橋から数えて15番目の宿場町、静岡県の蒲原(かんばら)宿を描いた『蒲原(かんばら)夜之雪』である。
広重は、意表を突くデフォルメで知られる。芦ノ湖を望む『箱根湖水図』では湖の右側に峻険な山が屹立(きつりつ)しているが、実際にはそんな山は存在しない。『箱根の山は天下の剣』と言われる難所の街道筋の山を視覚的に幻出させたのだ。
『蒲原(かんばら)夜之雪』はどうだろう。一見して目を奪われる虚構は存在しない。では、この絵は見たままの風景を、そのままを描いただけなのだろうか。
実はこの絵での虚構は姿形ではない。蒲原は黒潮の恩恵を受け、とても温暖で、太平洋側でもあるので雪は積もらない。もし積もったとしても数年に一度、うっすらとでしかない。
彼は、滅多に積もらない蒲原宿の雪がさぞ美しかろう、その景色は夜に一層、輪郭鋭く映るだろう思ったはずだ。
広重は自著の中で、「写真をなして是に筆意を加える時則(すなわち)画なり」と書いている。彼の創造の哲学がここにある。
200年経っても彼の作品が心から離れない。