書くに当たって、2年前の5月に見た風景と包まれた空気感を思い出してみる。
銀閣寺は、高校の修学旅行で、苔寺同様班の仲間に却下されて行けなかった場所。僕の特別な思いは妻も娘も知ってくれていた。
総門をくぐると右手に道が鮮やかに伸びる。左は銀閣寺垣として名高い竹垣、右は視線を遮るかの様に高く設えられた生垣。枝葉を綺麗に刈り込んだ葉の間の所々に、椿だろうか、花が咲いている。向かう人帰る人は緩やかに列をなしてすれ違う。
さらに門をくぐると右手に観音堂が現れる。木々に遮られているため、全容を観るためには少し回り込まなければならない。
室町幕府八代将軍足利義政が建てた私的な別荘は、当時、東山(とうざん)山荘と称した。豪奢さを微塵も感じさせない、潔(いさぎよ)いまでの質素さが美しい。三代義満が建立した金閣寺とは真逆の美である。義政は応仁の乱の後、依然騒乱が続く治世から離れて将軍職を退き、この地に移り住む。そして、没後義政の遺言に従って禅寺慈照寺として生まれ変わる。
庭園の造営に際しては、苔寺(西芳寺)を模していると言われ、その苔は見事である。池を中央に配した回遊式の庭園は、奥に回ると傾斜が設けられ、まるで裏山に登るかの様な錯覚をおぼえる。
途中、娘と二人でしゃがみ込み、夢中になって苔を見ていた。その時、庭の手入れをしていた御仁が僕たちに話しかけてきた。苔には雄と雌があるという。丈が低く敷き詰められた様に拡がっているのは雌株で、その中にぽつりぽつりと高く伸びているのが雄株だとのこと。改めて見てみると一目瞭然で、身近な不思議に興奮した。
以前、苔寺の点描を書いた。苔寺に佇むと、遥か遠い時代から積み重なる『時間』を感じた。対して銀閣寺では、現在と過去が一緒になった瞬間とも言える『時間』を感じる。それは義政の見た一瞬の景色なのだろう。
政治の安定を模索するより自身の安寧を望んだ将軍。正室の日野富子と共に後継者選びで右往左往しているわがままな将軍。様々な評価をされる義政だが、それだけでは語れない。悪しき評価の裏では、文化と芸術を庇護し、仏教に寄り添う義政がいる。
その義政が、自分らしく居られる場所として造営した山荘と茶室と庭園。
穏やかな気持ちに満たされるのは至極当然であろう。