言わないように言わないようにと思っていても、人前でつい口にしてしまう他人に対する評価。言ってしまった後に、自分の器の小ささに呆れてしまう。僕は悪口を言うのが大嫌いだ。悪口をよく言う人もだ。だから、その蕾である噂話もあまり好きではない。なので、在職中も拡がっている噂話を耳にすることがほとんどなかった。
悪口の発端は噂話。その席に居ない誰かのことをあれこれ話す。ところが、その中身はいい話ばかりとは限らない。逆に、悪い話の方が多い。皆さんも同じ皮膚感覚だと思う。
自然界には、子育ての時期を除いて個で生きる動物と群れ成して社会生を持って生きる動物に分かれる。噂話の原点は、この『群れ』と『社会』に包含されている。
猿を想像してみよう。ボスは力強さが重要で、その次に群れの個体個体を納得させる振る舞い(付き合い方)が必要とされる。では個体個体は噂話はしないのだろうか。実は、ボスの行動に萎縮して何頭か膝を寄せ合ったり、逆にボスに取り入ろうとしたりと、その行動で都度都度の感情が読み取れる。当然、言語はないが単語と捉えられる声の表現は存在する。
ここに、より緻密な言語が登場する。
人は言葉を操り、他者に感情や情報を伝えられるようになる。そして、噂話が始まる。社会は均一と序列のバランスで組み上がっている。均一とは食糧にありつける機会の均等と言って良い。では、序列はどうだろう。猿の場合は群れがまとまるために必要な力関係だが、人の場合はその構造がグロテスクになる。
言葉を使い、ある事ない事を織り交ぜてその場に居ない他者を貶(おとし)める。他者を悪く言う事によって自分の立場を引き上げようとする。これは、実力以上の自分の印象をを周囲に植え付けようとする行為に他ならない。
本当に悪い人の事を懲らしめるために、他の人と手を取り合って立ち向かうのなら分かる。しかし、よく聞く噂話の中身は悪口である。悪くない人を悪者にし、実力がない自分であるのにもかかわらず、悪口を言った後に足を組んで胸を張る。
僕自身は言わない様にと思っていても、そういう場に遭遇する。何人か集まると必ず始まる悪口には寒気がする。