いつの時代でも、天皇家に娘や孫を嫁がせることは、貴族や武家にとって権力基盤を確固たるものにし支えてくれる手段であった。
今年の大河ドラマで放送された『光る君へ』に登場する権力集団、藤原氏。一門からは皇族に次々と輿入れし、政治の舞台はほぼ藤原氏で占められ、隅っこに平家が居る。どちらも皇室由来の家系とはいえ、時の勢いというものがこんなにもあからさまに出るものなのかと驚かされた。
若い頃の認識では、近い家系ばかり『血』を入れるのは、市井でささやかな人生を送る民(たみ)を愚弄する様なものだという感覚だった。民の暮らしを考えず、身分の高い者だけでいい様にやっているだけだと。民が苦しんでいる、民が困っている、民の間に不満が燻(くすぶ)っているなど、感じられる筈がないと。
幾度か政変が起き、藤原氏、北条氏、平氏、源氏が倒れたのも、中枢から外れた公家、武家の不満からである。決して民を思っての事ではない。
もう一つの側面は、治世を成すための学問と知性と経験の伝承が必要だという事である。書物を読み知識を膨らませ、論じ、切磋琢磨し、太極に立った政治を行うのは、識字率の低い当時の日本では、皇室に近い公家と、のちの武家一門でしかあり得なかっただろうと。
何事も調子に乗り過ぎると齟齬を生じる。権力基盤が強くなり過ぎると、トップは好き放題を始める。そして仕える者たちは遠くへ去ってゆく。
これは現代における企業も同じであろう。自らの行動と決断を振り返ることのできないトップはやがて誰かに凌駕される。『噛む馬はしまいまで噛む』。悪癖は治せず、終焉を迎える。
驕る平家は久しからずである。