先日ウォーキング中にイチョウの美しい黄葉、落葉に出会った。木々は真っ黄色の葉で膨らみ、植え込みの下から車道脇まで隙間のないほどの黄色で埋め尽くされていた。
あまりの美しさに、家の周辺の落ち葉を掃いていたご婦人に、写真を撮るお許しを頂こうと声をかけた。どうぞどうぞの返事の後、ぼくが写真を撮っていると、呟(つぶや)かれた。そうよね、見てる分には綺麗なのよねと。僕は、写真を撮るだけで申し訳ありませんと返し、お礼を言ってその場を立ち去った。
考えてみると、イチョウの雌木だと銀杏が落ち、踏まれてなお強い匂いを発する。葉っぱは露に濡れて滑りやすくなる。先ほどの女性は、家の前が歩道になっているために、歩行者のために葉を歩道から車道に掃きだしていた。綺麗にするとともに危なくない様にという思いもあってのことと思うが、毎年毎年、一日に何回も、そして何日も箒で掃く。
山の中や渓流沿いなど自然の景観の中では気にならない落ち葉だが、寺社仏閣の落ち葉も人が歩くところは綺麗に掃いている。
私たちが日々見ている街中の美しさは、周囲の人々が深く関わって、散らかっている部分を整えて下さることにより、より安全により心地好く私たちを癒してくれる。
季節の美しさに触れる時、忘れがちではあるものの、そういう方達がいらっしゃることを気に留めていきたいと思う。