小学校6年生の時の修学旅行は函館だった。青森駅から青函連絡船に乗っての船旅だ。普通、旅客船は『港』から出港するものだが、青函連絡船は列車ごと乗船できる珍しいタイプの旅客輸送船だったので、『青森駅から出発する』と言い習わしていたように思う。
修学旅行では、トラピストクッキーが有名なトラピスト修道院と大沼公園が記憶にある。お土産品は、そのクッキーと真っ白なバター飴が当時の定番だった。
中学校は札幌。やはり函館まで連絡船で向かい、その後はバスで向かったのではないだろうか。途中、洞爺湖に立ち寄ったような気がする。恥ずかしながら、もはや旅程も定かではない。
そんな旅のひとコマでもある青函連絡船にまつわる奇妙な思い出がある。まだ小学校に上がる前、おそらく5歳の時、父が家を出ると言った。母と喧嘩をして互いに折れなかったのではないだろうか。しかし、喧嘩の様子も知らないし、母からも何も聞かされていなかった。
父は、青函連絡船で北海道に渡って、もう帰ってこないつもりだと僕に伝えた。そして僕に、一緒に行くかと尋ねた。僕は答えられなかった。その後少しの間、さばさばとした柔らかい表情で僕の頭を撫で、そばにいてくれた。
そして父は出て行った。
母は仕事に、姉は学校に行っていたので、この話は知らない。その夜、母は姉と僕に何かを話してくれたが、何一つ覚えていない。何の感情も記憶していない。
ただ、青函連絡船の甲板で風を受けながら、出て行く前に僕の頭を撫でてくれたと同じさばさばとした柔らかい表情で風に髪をなびかせている父の姿を思い描いていた。
父は一週間ほどして家に帰ってきた。
父がその時にどんな話をしたのか、母と姉がどうしていたか、やはり何ひとつ覚えていない。
実際にこの目で見ていない、さばさばとした柔らかい表情で風に吹かれる父の笑顔しか思い浮かばない。