小銭を握りしめて駄菓子屋さんへ。何を買おうか目をきらめかせて。今も昔も変わらぬ子供達の風景である。
僕が子供の時は、小学校の学区内に必ず一軒はあっただろう。小学校入学前にも行ってはいたが、小学校に入ってからはしょっちゅうだった。何なら中学校に入ってからも。
何種類ものくじ、お菓子にガムやジュース、風船やシャボン玉や花火などの遊びの品。とにかく子供の好きなものは何でも揃っていた。
くじは芋菓子と言われる砂糖をまぶしたものやら何やら。ジュースは厚めのビニールに入ったもので、赤やオレンジ、黄色に緑とカラフル。冷凍庫で凍らせればアイスにもなる。
そんな中、一番人気だったのが『あん玉』だ。おそらく青森市中心の青森県だけのくじ付きお菓子だと思う。親指と人差し指で作った丸くらいの大きさのこし餡玉で、中に色のついたこし餡を仕込んでいるものがある。当たり玉だ。
色によって特等、一等、二等、三等と分けられ、景品もまたこし餡のお菓子である。引き玉より大きなあん玉の三等、更にそれより大きな二等。一等と特等はお正月の練り切りのように模様が入っていて大きくて。
僕は残念ながら、一等と特等は当たったことがない。一緒に遊んでいる友達が当たったのに出くわしたのも二、三度くらいだと思う。
そのあん玉を唯一作っていた最後の砦の和菓子屋さんが今年の初めに閉業して、地域のニュースでも流れた。今では青森市内の駄菓子屋さんも両手の指で余るほどに減り、需要そのものが激減しているのだから、閉業しても責められない。
それでも、寂しい気持ちになる。これからの子供達はあん玉を経験できないのだ。存在すら忘れ去られていく。地域の文化が途絶える瞬間の悲しさを痛感した。
半年以上経った先月、丸高高橋蒲鉾店が製造を開始したと報道が流れた。作り方を継承した上で復刻したのだ。とても嬉しい。
時代の流れに際して残すことが難しいものは必ずある。無くなったことに気づかれないまま消えていったものもあるだろう。
わがままばかり言うつもりは無いのだが、地元の文化はやはり残ってほしいと思う。