やっぱりお風呂は気持ちいい。体をきれいにするのはもちろんのこと、半茹で状態も気持ちいいし、上がってから扇風機で涼んでると整ってくるし。サウナもそうだが、ぽわんとした感覚とスッキリした感覚が同居しているのがたまらない。

 でも、子供の頃は風呂は余り好きじゃなかった。父と銭湯に行くと、もっと丁寧に洗いなさいとか、湯船に入ったらゆっくり30数えなさいとか。のぼせ気味になるのがどうしても苦手だった。脱衣所との引き戸を少しだけ開けて10回くらい深呼吸。これで何とか凌いだものだ。

 後年知ったのだが、子供は体に溜まった熱、特に頭部の熱は抜けにくいんだそう。だからなのか。子供の時は苦手なのに大人になればサウナですら大好きになるのは。そのことを知るまでは、単に我慢できるようになったんだろうと思っていた。


 小学校の高学年になると、のぼせの問題も和らぎ、友達と銭湯に遊びに行くようになった。午後の明るい時間にである。大人たちはほとんどいない。で、遊び場と化すのである。

 あつ湯とぬる湯の間、湯船の堺の底に窓が切ってある。おそらく、あつ湯のお湯をぬる湯に流すためのものだろうと思う。何と、その狭い窓を潜って通り抜けるのである。今考えるとゾッとするが、当時はおもしろくて仕方なかった。

 もうひとつ。備え付けの風呂桶をふたつ、腹合わせにして抱き抱える。そうすると、体がお湯に浮く。ラッコ状態で浮くので楽かと言えば決してそうではないのだが、面白いのである。

 楽しい時はいずれ終わりを告げる。こらあと叱られて。銭湯は遊び場ではないし、潜って抜けるなんて危険極まりないのだから。


 時は経ち、子供は青年に、そして親になる。子供達が遊ぶ分には大歓迎だが、場所をわきまえることは大切である。あのいたずら小僧が何を言うと思われるかも知れないが、悪事をしていたからこそ分かる実感がある。


 でも。でも。

 内緒にしておいて欲しいのだが、心はあの頃のままだったりするのである。