「ごめ〜んく〜ださ〜い」。
アルミの鍋を持って、お豆腐を一丁買う。四角いところてんを店頭で突いてもらって買う。また、しそ巻きの梅干しを10粒、ビニール袋に入れてもらって買う。夕食前に足りない物を買いに行かされるおつかいは、昭和の小学生の姿である。
家の近くには2軒の商店があった。
家を出て十字路を右に曲がって左側4件目の佐々木商店。十字路をまっすぐ進み右側3軒目にもうひとつの商店。普段から『まっすぐ』と呼んでいたので、悪気はないのだが店名の記憶がない。それぞれの店で微妙に品揃えが違ったが、どちらかと言うと『まっすぐ』に行くことが多かった。『まっすぐ』では少しばかりの野菜と魚も売っていた。
当時、昭和ど真ん中の4時から6時は、アニメやヒーローもののリバイバル放送も含めて、子供たちのゴールデンタイムだった。
おつかいを頼まれる時間は大体5時から6時である。必ずいいシーンのところで行って来なさいとなる。今いい場面だから見たら行くと言っても通用しない。10円の駄賃で渋々お使いに出る。走って行って走って帰ってくる。しかし、どんなに急いでも話は飛んでいる。少しの間、膨れっ面のまんまである。
当時の10円は子供にとってそこそこの価値だった。キョロちゃんの絵が目印のチョコボールは今は定価が90円だが、当時は20円だった。2回の駄賃で一個買えるのだから悪くない。ちなみに、小さな四角の箱にフェリックスやミカンの絵が描かれたガムは、ひとつ5円。もう少し小さい時は、ふたつで5円だった。
ところが、さほど遠くない所にスーパーマーケットができると、住宅街の個人商店は次第に店を閉めてゆく。学校や病院の近くにある商店は多少残ったが、住宅街の中の個人商店は軒並み閉店した。
あの頃の様に個人商店が残っていれば、車の免許を返納した年配者でも買い物をすることができたのにと思う。
雇用形態を増やして企業側の採用利便性を高める法改正で、所得の格差が広がり将来を見通せなくて苦しむ若者が増えた。
大病院に患者が集まると、廃業を余儀なくされる個人病院もある。更には、割に合わないと言われている産婦人科や小児科は新規開業もされず、減り続けている。
スーパーも然りである。決してスーパーが悪いわけではない。新しい何かは少なからず古い何かを凌駕する。
それにしても、どうしていつもいい場面でおつかいに行かされるんだろうと子供心にいつも思っていた。でも、今だと分かる。皆さんもお気付きだろう。
無いものねだりの『無いもの』はいつでもキラキラしていて、観たくてたまらない番組はいつだっていい場面なのである。