津軽弁では自分のことを『わ』、相手のことを『な』と言う。
有名な例文では、2人の会話で
『な、どさ』『わ、ゆさ』がある。
『貴方はどこへ』『私は銭湯へ』と訳す。
『ゆ』は『風呂』もしくは『銭湯』の意味で、最後につく『さ』は行き先『〜へ』を表す。
冗談まじりで、津軽の冬は厳しいために短い言葉で済ますと言われたが、あながち間違いではない。
登場する言葉はいずれも古語に由来し、
『わ』は『我・吾(われ、元は『倭』)』
『な』は『汝(なんじ)』
『さ』は『さまに(〜へ)』が縮まったものである。
大和(やまと)言葉以前から文字は渡来し、書物に記す事によって言葉や表現が確定したと推測する。その言葉が地方地方の本来の漢字表記以前の言葉と混ざり合い、現代の方言になる。中央から距離が遠いほど古来からの言葉の変化が少なく、より古語に近いと言われている。
古代では『あ』段と『お』段の発音が少なく、『いうえ』に収束した。語尾にその傾向が強い。九州では『原』を『はら』ではなくて『はる』と発音することがある。西南戦争の激戦地『田原坂』を『たばらざか』ではなく『たばるざか』と言い、苗字にも『ばる』と読む名残がある。沖縄では『山原』を『やんばる』と読む。これらも古語の名残である。
沖縄ではより古語の名残があると思われる。空想上の『南波照間島』の『南』を『ぱい』と言った。本州では本来『南風』を『はえ』と言うが、沖縄では古来『ぱえ』と言った。これが変化して『ぱい』となる。
古来、『ハ行』は『パ行』だった。この『南』を『ぱい』と読むのも古語の名残りである。
古さは歴史を包み込んでいる。古語の香りを残すと言うことは、父母、祖父母と続く一族、民族の系譜と、地域の文化、風土の記憶を忘れないことである。
古代、中央勢力に武力で凌駕された青森と、中世、武士の勢力に生活を蝕まれた沖縄。ともに中央から遥か遠い地に、古(いにしえ)からの記憶が宿っている。
(参考 : 司馬遼太郎氏箸/街道をゆく6/沖縄・先島への道)