二度目の沖縄旅行は石垣島。
青森空港から羽田を経由して那覇空港へ。そして石垣島へ。本島より西の地は僕の憧れの地だった。
司馬遼太郎氏の『街道をゆく6/沖縄・先島への道』で綴られる、八重山諸島の主島、石垣島である。その先には、沖縄諸島の最西端であり、台湾まで110km、年に数度台湾の山並みが見えるという与那国島がある。
そして最南端には波照間島がある。伝承では、更に南に南波照間島があるのだそう。もちろん実在しない島である。
400年程前、琉球王朝の年貢に苦しんだ島民が、役人達を酔わせて年貢取立船を乗っ取り、その南波照間島を目指した。当然だがその後日談は伝わっていない。
まるで熊野で行われた補陀落渡海(ふだらくとかい)を思わせる。南方にあるとされた仏教世界の補陀落山を目指すかのように。
石垣島では美味しい豚肉と牛肉を食べ、居酒屋で美味しいお酒を頂いた。
川平湾では透明な船底から海中景色を楽しんだ。
石垣島から周辺の島々を巡る遊覧船が出る。由布島では水牛車で浅瀬をザブザブ渡り、西表島ではマングローブ林はもちろんのこと、想像を超える高さに聳える山々に驚いた。
最も感動したのは竹富島である。島に住む人達の暮らしだけが存在する静けさ。ほとんど観光地化されていない島では、珊瑚礁が砕けた白砂が眩しく、塀越しに家々の屋根が見える。歩いて、三叉路を曲がって、また歩いて。穏やかな時を過ごさせてもらった。
本島の華やかさ、石垣島の賑わいとはかけ離れた生活の島を体感した。
適切な表現だといいのだが、沖縄は日本本土、天皇や武士の社会とは一線を画す王朝文化を継承し、海外交易を経済の基盤とした東シナ海の王国、一国家である。距離的に近いからと言って、日本の一藩が年貢を取り立てたり、新生明治政府が武力で踏み躙ってはいけない社会なのである。
沖縄が大好きである。青い空、煌めく緑色の海。そして育まれた海洋交易国家の文化。
一方で強く憂う。僕たちが、沖縄の文化と断ち切られた歴史の尊さを置き去りにしてゆくことを。