年齢を重ねるに連れて、昔の記憶が少しずつ薄れてゆく。20年前に束の間訪れたという函館のブティックの記憶がほぼなかったり、10年前に盛岡のパンケーキ店て食べたメニュが不確かだったり。人は、自分の興味が強い分野のことは良く記憶しているもので、例に挙げたふたつの事柄は、僕にとってはどうやらそういう分野ではないらしい。
小学一年生の浅はかな事故のことは今でも鮮明に覚えている。それだけではない。誰かに何かを言われなくても、ふと思い出されるのである。何度も何度も。事の顛末までくっきりと。
「ランドセルの金具はカチッと閉めなさい」
そう言われた記憶はないだろうか。母にもよく言われたが、先生には『帰りの会』の終わり際、机の中のものをみんなしまいましたか?のあと、必ずと言っていい程言われた。
僕は、別に閉めなくても誰かに後ろから抜き取られることも、走って中のものが飛び出すでこともないから、どうでもいいと思っていた。
秋のある日、学校前の堰(せき)で綺麗になびく水草が目に入った。水の流れはそこそこあり、下流方向に一斉にお辞儀をしているかの様だった。僕は堰の端に立って水草をもっと近くで見たいと身を屈めた。一瞬だった。ランドセルの中身が堰になだれ込んだ。ランドセルのふたは僕の頭に覆い被さった。
間を置いて何が起こったのかを理解した僕は、急いで教科書やらノートやらを水から拾い上げた。
家に帰ってから一冊一冊部屋に並べて乾かした。家に帰っきた母も手伝ってくれた。しかし、一旦水を含んだ教科書は1ページ毎に波打ち、決して元に戻ることはなかった。1冊1冊が5冊分くらいに膨らんだままだった。
翌日先生にも相談した。しかし、新しい教科書を手に入れるためには、家計から支払うしかなかった。僕は、学年末までの5ヶ月間、可哀想な教科書達と一緒に過ごした。
東日本大震災のあと、被災地の子供たちのランドセルが足りないと報道があった。時を經ずして、青森市内の百貨店がランドセルの寄贈を募った。中学生だった娘は、大切に使って綺麗なまましまって置いたピンクのランドセルを持って行くと言った。そして僕に勧められて、中に入れる手紙を書いた。
「楽しい学校生活が送れますように」と。