昨日出発して、隣県秋田の湯瀬温泉に妻と小旅行。青森市から高速道路でビューンと行く手もあったが、道中もちょこちょこ立ち寄ることにして下道で向かう。
青森市を出発して、黒石市〜大鰐町を経由。平川市碇ヶ関の道の駅で昼食。その後、秋田県の小坂町へ通ずる小坂峠を駆け上がった。
40年前の冬にこの峠を越えた折り、深く削られた轍〔わだち)は3本しかなく、対向車とすれ違うために必要な4本に満たなかった。峠を降りて来る車がいると、轍からずれなければならず、タイヤが埋まりそうになったりと散々な思いをした。二度と冬には通るまいと心に決めた峠道だ。峠道は大変なのである。
父が、小学校に上がる前の僕を酸ヶ湯温泉に連れて行ってくれた事がある。父と二人で出かけるこが初めてだった上に、訪れたことのない八甲田への遠足。母からバナナを持たされ、期待に胸が膨らんだのを覚えている。
昭和30年代には自家用車を持っている家庭はほぼなく、出かけるとなると皆バスだった。国鉄〔現在のJR)バスで、いわゆるボンネットバスだったのではないだろうかと思う。八甲田山を、笠松峠をピークに越えて十和田湖まで抜ける十和田北線。酸ヶ湯は青森市側から見て笠松峠の手前に位置する。
当時は酸ヶ湯までずっと砂利道で、どっこいしょよっこらしょ、ぐいーんごいーんと、バスは息を荒げて必死に上る。そんなバスの中は波に揺られる小舟の如くで、僕はずっと酔いっぱなしだった。母からのバナナを食べる機会などあるはずもなく、酸ヶ湯に到着した時はぐったりだった。
父は湯に浸かり、何か食べたかも知れないが、僕は休憩部屋でずっと横になって眠っていた。しばらくして、父がキャラメルを買ってきてくれた。いくらか体調が回復したからなのか、はたまた滅多に食べられないキャラメルが目の前に差し出されたからなのか、僕はキャラメルを手に取ってその大好きな甘さを口に入れた。その後、バナナも食べる事もできた。
帰りのバスの時間があったからだと思うが、結局僕は酸ヶ湯で食事もせず風呂にも浸からず酸ヶ湯から下ってきた。
小学校入学前のことなのにこんなにも鮮やかに覚えているのは、珍しい。自分でも不思議である。苦難とも言える道中だったにもかかわらず、やはり父と二人きりのお出かけがこの上なく嬉しく、未だ忘れ難いことだったのだろうと思う。
頭が良くて姿が綺麗だった自慢の父。
僕を可愛がってくれた父が逝って10年。
ありし日の写真の中で微笑んでいる。
今も昔もそのままで。