一昨日の定時後、ようやく面談の合否が分かり、無事通りました!

というわけで、4/1から無事新しいところで就業予定です。

 

今回は初めて同じ会社の部下が私の配下につきます。初めてです。私は面倒見が悪いため、なかなか大変な気がします。

コミュニケーションスキルがないと言っているのにです。

 

まぁ、内面を磨く必要が来るときが来たのでしょう。

私も尊敬できる上司、尊敬できない上司といろんな上司を見てきました。

私が上司になるということで、わかったのですが、不安ですね。。。私は上司になれる器でもないのに。

 

まぁ、そんなこと言っても仕方ありません。なるようにしかなりません。

今以上のレベルになれるわけはなく、自分の今の精一杯の実力で頑張るしかありません。そこから積み重ねていく。もちろん今までも頑張ってきたわけで、きっとその頑張りは何かしらの自分の糧になるわけです。

 

自分の自信にも繋がりますし、誰でもみんな不安なものです。

私だけではないはず。今回の案件先の単価は前回よりも高いので、また給料が上がるかなと、少しワクワクします。ゲンキンな奴です笑っ

 

まぁ、借金も多額にありますし、早くこの借金生活から抜け出したい。

その為にも、単価が高いところは、メンタルの維持のためにも必要なわけです。

借金はメンタルにも悪いようですしね。ただ、私は借金ではあまりメンタルが落ち込むということはありません。

 

どちらかというと、家族から無視されたとかのほうがメンタルが苦しくなります。無視をするのは母が多いですけどね。電話しても取ってくれない、折り返しも来たことはありません。

 

母は私のことが小学生くらいから嫌いなようでしたので。

しょっちゅう無視されてました。抱きしめてほしいと伝えて、嫌がられたときの気持ち。そういうことのほうが辛かったです。

 

電話を取ってくれたとしても嫌がられるだけなので、仕方ないです。喜ぶのはお金あげたときだけ。母がガンになったとき、お金を送金したときは、喜んでくれました。それ以外で、喜ばれたことはありません。結婚報告のときも嫌がられたくらいなので。電話は取ってくれましたけどね。

 

でも、一昨日久しぶりに父親に連絡をしてみました。そしたら、喜んでくれました。

嬉しそうだったのが、私も嬉しくて。母は、父曰く体調悪くて、話せないとのことで、話せませんでしたが、それでもよかったかなと思っています。

 

父親は脳梗塞を患ってから、うつ病を患ってしまって、電話しても出れないことがよくあります。その為、連絡しても3か月に1回か、1年に1回くらいの電話頻度にしています。7年くらい連絡を取っていないときがあり、それは良くないかもと思ったのが、きっかけです。電話も死んでいないかの確認ですが笑っ

ただ、父の場合、電話に出れなくても、ショートメッセージで体調悪くて、電話できないと折り返しで返信してくれます。折り返しがあるところが、母と違うなと感じます。

 

母は私が20代のときに縁を切りたいと言ってましたが、それを父が止めました。

最初は父も母に賛同して、縁を切ると言っており、私も受け入れたんですが、すぐに父がやはり縁を切らないと言い、縁が今も続いています。母は父の意見の変更にかなり嫌がっていましたが、そうなりました。

 

母に嫌われた理由は、おそらくですが、私が小学生未満くらいまで、父側の祖父母の家で長く育ったからだと思います。その為、祖父母に育てられたせいで、私の性格が母好みではなくなってしまったと、母が言ってたのを覚えています。その為、私は小学生からは祖父母の家には全く行かず、父と母のもとにいましたが、母は小学生の私を嫌がりました。たぶん私はおばあちゃん家に行きたいとか泣いたりしたかもしれません。母は私を無視することも多く、口答えすれば、物で殴ったりしてました。

 

そういう感じで、小学4年生からは、母は水商売を本格的に始めたため、会う頻度も極端になくなりましたが、朝帰ってきたり、夕方私が学校を休んで、母を送るときも「いってらっしゃい」の言葉は無視されることもよくありました。もちろん弟2人は無視しません。私だけ。

 

でも、父が反対に弟に厳しく、私にまだ優しいほうだったので、なんとかなっていたのかなと思います。父もあまり家に帰ってくることはなかった人ですけどね。小学4年生の私を筆頭に子供3人で夜を過ごすという状態でした。夜ご飯も、父や母が作ってくれるわけでなく、ほぼ給食で過ごすか、母方の祖父母が持ってきてくれた食べ物で過ごすか、父の友達が持ってきてくれるスーパーの残りものとかで、食べ物を食いつないでいました。冷蔵庫はいつも空っぽでした。

 

親はおそらく借金取りとかで仕事も忙しいし、家にいることも食料を買うこともできなかったのでしょう。

家の中は、こんな状態だったので、子供ながらに頑張っていました。食料を見つけたり、友達の家で食べ物もらったり。だから、私だけでなく、弟たちも愛情不足の塊です。

 

父は勉強をしないと殴るという傾向にあったので、家にたまに帰ってきて、父が課したノルマを達成していないと、殴りました。なので、私は必死に毎日父が帰ってこなくても、勉強の手を抜くことなく、生真面目に勉強してました。弟はほとんど帰ってこない父のノルマをサボりがちだったので、いつも殴られるのは弟でした。おそらく、私がノルマを達成しなくても、弟ほど殴られなかったかもしれませんが、それでも父が言う理由がそうだったので、母にも嫌われ、父にも殴られたら、子供ながらに生きていけないと分かっていたので、それこそ、毎日お腹空かしてましたが、夜遅くまで小学生の頃から勉強してました。終わらなければ、学校の休み時間を利用して。

 

そんな感じだったので、学校の男の子とかに、ガリ勉と言われたりして、かなり凹みました。

それ以来、家で夜終わるまでは寝ないということにして、学校の休み時間は遊ぶようになり、その男の子とも仲良くなったことを覚えています。学校ではたまにイジメられることはあっても、すぐに仲良くなれたので、楽しかった思い出も多いです。家とは違いました。

 

ちなみにですが、弟2人とも仲がいいほうだと思います。

私は面倒見が悪いとよく言われるので、面倒見が悪いですが、それでも弟たちのおかげで、高校生まで生き抜けたので。親もいない、私1人ぼっちだったら、私は孤独で死んでいたと思います。頑張ることもできなかった。もしかしたら、夜ずっと起きて、勉強ばかりしていた割に、成績が普通以上くらいだったので、弟たちにもバカにされますがね。

 

1つ言うと、勉強はやっていても頭に入っていないんです。お腹もすいてましたし、しかもメンタルがいつもカラカラな状態で、夜はいつ帰ってくるかわからない父におびえて、母にはいつも無視されて、何のために頑張っているのかわからない状態で、心が壊れそうなのを耐えるのに必死で、全く問題なんか頭に入ってきませんでした。

 

それでもたまに、問題が心の中に入ってきて、勉強モードになれるときがあって、それを待っている気がしました。そうすると、心の苦しみから解放されました。勉強に集中できると、心が楽になるんです。その感覚になるまで、必死に良く入ってこない教科書や問題集を見ているんです。心が絶望のまま、カラカラの状態のまま。

 

なので、私の10代はかなりメンタルが病んでいました。

20代で今の旦那さんですが、彼ができ、彼の家に転がりこむことで、家から出られ、後遺症が全然ありましたが、それでも少しずつメンタルが復活し、30代の今は、10代の自分を振り返り、こうやって話せるまでになりました。

 

今は、10代の頃の話もなんなら少しですが、笑って話せます。

ただ、まだ10代の少女が主人公の本やアニメなど、普通の家の映像や話が出てくると苦しくなるときはあります。

 

実は、今の旦那さん、20代の頃の彼の家に転がりこんでから、弟たちと少し距離が出来てしまったというはあります。今も仲がいいですが、弟たちはおそらく裏切りに近く感じたのでしょう。

 

だから、私が結婚したときも母は嫌がっていたのですが、弟たちからもおめでとうはありませんでした。

父はその時、重度のうつ病のときだったようで、あまり話せませんでした。

 

ちなみに、上の弟もうつ病で、下の弟も職場が点々としてしまって、2人も金欠で、メンタル不足な感じがします。

1年か1年半、それか2年に1回は会うようにしていますが、そう感じます。

 

親にも電話だけでなく、最近は1年か1年半、それか2年に1回は会うように心がけていますが、東京から仙台はお金がかかります。弟たちに会うのは、これは高校生まで私と一緒に居てくれたからです。弟たちだったら、親も帰ってこない家にいるよりも、友達の家で過ごしたほうがよかったはずです。実際そうなりかけていました。それは私は嫌でした。だから、弟たちと一緒に入れるように、頑張っていた気がします。それの恩があるので、会って、居酒屋やカラオケに連れていって、おごります。どこ行きたい?と聞いても、私が好きなところでいいと毎回言われるので、そんな感じです。

 

親は私より先に死ぬと思っているので、しかももう弟たち含めて30代ですので、死ぬまでに会っといたほうがいいかなというのと、父は会いたそうなときがあるというのがあります。そういう時だけですし、母は嬉しそうじゃないので、本当に少しの時間しかいません。今は、母に好かれたいとかではなく、母が縁を切りたいなら、話したくないなら、それでもいいという姿勢です。

 

やはり母が心地いいほうが、父にも弟たちにもいいはずなんです。

実際私も父や母を恨んでいたのは、愛情がほしい裏返しでしかありません。それが今は分かります。

私には新しい家庭、旦那さんがいるので、前の家はもう帰らなくても、会わなくてもいいかなと思ってるくらいです。なんなら、30代の今でさえ、昔のこと思い出して、苦しくなりますしね。

 

仕方ないことでも、それを受け入れるのに相当な時間が必要ということです。

今36歳ですが、40代でもやはり10代のときの思い出に苦しむだろうし、これが50代、60代になっても、きっと苦しむのでしょう。それでも、その苦しみが薄まっていけばいいなと思っています。36歳の私が今言えるのは、確実に20代の頃よりも、薄まってきたということです。

 

トラウマ級に苦しくても、時間が過ぎれば、薄まっていきます。だから、生きることは素敵なことです。誰も自分含めて、死んでほしくありません。生きていれば、いいことは必ずあります。苦しいことのほうが多いかもしれないけど、一握りのいいことがあるから生きていけますし、今5体満足であること、毎日食べられること、ぐっすり眠れること、それさえ幸せに感じられるなら、少しは強くなった証拠です。

 

でも、人は決して強くはないので、小さな幸せに気付けなくても、苦しんでいても、生きているということだけ凄いことなんですよね。弱い自分を受け入れて、前へ進む。生きていれば、前に進めます。

 

人生はどんなときも楽しんだもん勝ちなんです!!