ドジャース戦、今日も朝から見ていました。

大谷選手の2ランホームランも最高でした。昨日は、6対10で負けてしまいましたね。。

そういう日もあるというか、このところ、ドジャース戦が芳しくはないですが、応援し続けようと思います。今日は勝ちましたけどね!

 

最近思うのですが、以前よりも落ち着いてきた気がします。少しですが。

だから、いつもだったら、ちょっとした言葉でドキドキしたり、逆にちょっとした言葉で傷ついたりしたんです。

 

いつもの私なら、この前の父から初めて聞いた祖母の他界についてもショックだったはずです。死んだことではなく、それを教えてくれなかったことがです。父方の祖父母には一番可愛がってもらっていたことは父も母も知っていますし。それが原因で母に嫌われてるというよりも、母は、私は父方の祖父母に可愛がってもらって、一番下の弟は母方の祖父母に可愛がってもらっていたため、上の弟を一番大切にすると公言していました。ただ、私が小学生になったときには祖父母にはもう会わせてもらえませんでした。

 

まぁ、仕方ないですよね。なので、祖母が亡くなってもあまり現実がなく、そっかという程度でした。祖母はお墓もなく、葬式もしていないので、寺にお骨を預けてあるようです。父も母もお金はありませんし、だから、私は伝えることはなかったということですが。

 

私だけ知らされていないのは、なんとなく悲しく感じました。

でも、その悲しさもいつもよりも少ないんです。そういうものかと受け入れてしまっている自分がいます。

なんか父に久しぶりに連絡してみて、祖父母の話をしたら、初めてそういえば死んだと聞いた感じです。弟たちも知っているようですが。もともと伝えることさえ頭にはなかった感じですね。

 

私は寂しがり屋ですし、今でもこんなに父や母に好かれていないと知っているのに、愛されたいって、たまに強く思うんです。電話くらい年に2,3回しようと思っています。ただお金をあげなくなりましたし、電話さえ嫌がられたりする。お金をあげていれば、機嫌よく、特に母は電話嬉しそうに話してくれます。金がないとダメなのかと、いつも悲しくなりますが、今はもうそこまで悲しくならないんですよね。親が早く死んでもらってもいいななんて思うときもちょっと増えました。後悔するのだろうかなんて思って、死ぬ前にとか思って、電話してみても、こっちもあっちも変わらず、お金ないんだなぁって思うくらいですし。親も弱くなったのかもしれないと思います。だから、私に攻撃できても電話を切るとか話さないとかしかできないんです。いや、逆か。私が強くなったのかもしれません。

 

もしお金を渡すなら、お金はもう親ではなく、弟たちの子供へあげようと思っています。

最近弟たちと連絡をとり、子供が小学生になると聞いて、プレゼントを贈りました。弟がその姿を動画で送ってくれました。嬉しかった。子供って純粋なんだなと。この純粋さがたまらなく私の心には響きました。

 

子供の笑顔とかありがとうとか、そういう姿が嬉しかった。

プレゼントを破く姿とか、甥っ子くんは全然こっちを向かず**ちゃんありがとうと言う姿。プレゼントに夢中で、弟に言わされている感笑っ 全部が可愛くて、嬉しかった。姪っ子ちゃんはこっちを向いて、手を振って**ちゃんありがとうと言ってくれていました。笑顔がとてもかわいくて、何もひねくれていたりしない、そのままの笑顔、可愛かった。

 

これでいいかなって思いました。今1人になっても、こういう笑顔をくれる人がいるんだって幸せを感じました。そういうことなんですね。

 

弟も親に愛されたとは言えないというより、父親に殴られてきたので。母が私をいじめ、父は上の弟をという感じでした。多分私と同じ思いを味わって生きてきたはずで、今でも鬱を発症した当時から変わらず、精神的な障害で1級もらっていますが、まっすぐ育ててるんだなと思いました。弟が主夫で、奥さんが働いているので、かなり弟も子供と関わりが強いはずです。

 

本来なら、上の弟は私より運動も勉強も優秀で、顔も良く、女の子からもモテモテで、バレンタインデーではかなりのチョコをもらい、それをご飯もなかった私と一番下の弟はもらって、最高な気分を味わっていました。それを父がたまに家に帰ってくる度に弟をぶん殴って、精神をボロボロにしてしまった。

 

それでも生きて、子供を育ててる上の弟は強いですね。一番下の弟は父にも母にもある意味関わってもらえなかったので、かなりの寂しがり屋で、おそらくひねくれています。私を母親、上の弟を父親だと思っていたくらい、うちの親がいなかったので。たまに帰ってきても父は上の弟を殴る、母も私を物で殴るとかのシーンしか見てこなかったのではと思います。だから、いつも一番下は隠れていました。きっと寂しかったはずです。私も上の弟も余裕なんてなく、一番下の弟の思いに気付くことはなくて、気づいたときは、もう家を出てしまっていました。もしかしたら、弟同士は何かあったかもしれませんが、私は知りません。そういう意味で、私は1人っ子みたいな感じですかね。

 

だから、そんな私もひねくれているはず、自分と同じで仕事もうまく行かず、人間関係なんてうまくいっていないだろという感じです。でも間違っていません。いつも苦しんでいます。そして、一番下の弟も苦しんでいるんだって感じます。ここ3年くらい1年に1回弟たちと会うようになって分かりました。

 

私は母から愛情をもらえなかったので、一番下の弟が私を母親のように思うことに耐えられませんでした。苦しくて、たまらなかった。私自身が母のようになるのではとか、話す方法も知らない、怖いって思ってました。私の印象では一番下の弟はほぼ声を発することはなかったのですが、大人になってから会うとかなりのおしゃべりになっていました。色々変わったのでしょう。

 

親があまり家にいないので、母が水商売だから夜はもちろんいないですし、学生が帰るころにはいなく、朝起きるときには母はいつも寝ていました。なので、ほとんど会話がなく、父もどうしてかいつも帰ってきませんでした。たまにふいに帰ってくる感じでした。

 

まぁ過去なんて、振り返っても嫌なことはたくさんありますが、現在から未来に向けて、人は生きていかないといけないです。苦しくても悲しくても、大切な人に裏切られても、本当に1人ぼっちになっても、未来へ向けて生きていく、そこで死ぬという判断を下すのも結局は自分です。だけどそんな寂しい判断をする前に、もっと自分を大切に生きるべきです。こんなことを言えるのは、一番苦しい時期を抜けたからですが、昔の私は苦しくて、誰かに助けてほしくても助けてもらえなくて、どうすればいいかわからない状態で生きていました。落ち着いて考えるとかそんなの無理でした。だから、私は運がいいです。最悪な判断をしなかったし、親を殺したいと思っても誰も殺さなかったし。

 

私は今そういう時期を生き抜いてきたので、私は自分を誇らしく、もっと未来を明るく、楽しんでやると思っています。10代、20代半ばくらいまでが一番きつかった時代です。だけど、そこからは徐々に回復してきました。精神が病むと、鬱でなくても10年、20年復活に時間がかかります。メンタル復活しても、1回ボロボロになるとボロボロになりやすくなります。

 

完璧に戻ることは無理でしょう。だけど、そういう自分を受け入れて、未来へ楽しんで生きていきましょう。人生はどうにだってなるし、楽しんだもん勝ちなんです!