小池都知事本当に告訴されたのね
今知ったよ
TVでもデータの文字情報でも一切触れられていない
徹底的に小池氏に関する情報は精査されているようだ
そして今、元側近・小島敏郎氏が会見を開いているようだがTVでは一切報道されていない
YouTubeで流れているんだな
”(7)〈1977年1月12日発行〉
「この発行年月日が最大の疑問点です。『卒業証明書』は1977年1月12日発行と記されていますが、『卒業証書』は1978年11月発行。1976年12月29日に卒業したという『卒業証書』の記述を踏まえると、『卒業証明書』だけ卒業したとする日から2週間足らずのうちに迅速に発行され、『卒業証書』は2年後に発行されたという不思議な順序になるのです。また、卒業日が1976年12月29日だとすると、同年の12月は残すところ30日と31日だけになります。31日はイスラム教の世界では休日の金曜日だったことに加え、小池氏が正月に日本に帰国していたことを考えるとこの日程の中で小池氏は一体、いつ『卒業証明書』の発行をカイロ大学側に要請し、いつ受け取ったのでしょうか」”
そう云えば知らんかった「卒業証明書」もあったのね
もう一度振り返ってみる
小池氏がカイロ大学を他の学生と同等内容で卒業した場合次のようになる
①必須要件
1975年10月にカイロ大学4年生に進級
4年生は「1年間かけて卒論を仕上げること」と「12科目程度の講義・試験」があり非常に多忙
1976年5月の卒業試験をパスして卒論も認定された
②1976年5月の試験
北原氏によると「1976年5月の『進級試験』で落第」
③卒論について
”小池氏が、弁護士を通じて卒論はなかったと回答している”
必須項目を2つともパスしていない
④卒業証書の記載と日付
”1976年10月の(筆者注・小池氏が受けた)試験の結果にもとづき、大学の委員会は同年12月29日に小池氏に文学士の学位を与えることを決定した”
本来、進級あるいは卒業が決定しているべき1976年10月に試験を受けている
それに基づいて1976年12月29日に卒業(学位)を認定
この文面から、1976年5月の卒業ないしは進級試験に落第したけれど10月に追試験を実施して卒業認定と読み取れる
1:卒業論文はない
2:1976年10月に追試験
3:1976年12月29日に卒業(学位)認定
経緯で卒業となった
それではその書類の日付
卒業:1976年12月29日に卒業
『卒業証明書』:1977年1月12日発行
『卒業証書』:1978年11月発行
面白い、卒業が確定して即『卒業証明書』が発行されている
卒業できるという確約があり、よほど前から依頼していたのかな?いやそれでも卒業を認知する前に発行依頼を受諾するなんてことはないはずだ
考えてみると「カイロ大学が認定しているから、私はカイロ大学を卒業しているんだ!」という理屈って東京都若年被害女性支援事業のColabo擁護先鋒と同じだ「監査委員がOKしたから、都知事が追認したから」
この理屈って偉い人や認定するべき人や機関が認定しているからそうなんだっていうことだけれど
その偉い人や認定するべき人や機関が忖度や共謀により「それが事実だ」ということにしている場合ということが問題なんだよね
だから、この場合卒業に必要な卒論と試験をパスしているのか?それを実際にこなしたという何かを示せるのか?
ということだと思う「カイロ大学が…」という以外に何かが必要だ
認定する側に問題がある場合はその証書は「単なる紙切れ」にしかならない、証明するだけの根拠がないのだから
卒論と試験、あとは実際のアラビア語の熟練度が誰もが分かるように公開で示していただきたい
誤魔化しが効かない場所で
カイロ大学を後ろ盾にするのは辞めたほうが良い
カイロ大学の名誉というのはあまりにもズルイと感じる
小池都知事個人が本当に卒業要件を満たしているのであらればカイロ大学が発行したとされる証書以外にも何か示すべき能力があると思うのである
そうじゃないとひょっとして虚構に投票している人がいると思うと悲しいよね
TV報道を根拠に小池都知事をイメージ付けているとしたら、間違えている可能性が大いにある
とりあえずは「卒業証書」であれ「卒業証明書」であれそれの真偽と記してある文章を確認することから始めましょうということのようで
2020年の都議会?だったかでそれをやるという採択をとる直前で「カイロ大学が証明する、エジプトの法律で罰する」という突然の宣言があって流れた
その時やれなかった(やらなかった)ことを告訴という形で国家にやってもらおうということになるんだな
検察もどっかに靡く可能性もあるのだろうな