今日までは快晴らしい
しかし外出する気になれない
新たな試みで昨日から首筋に大きな違和感が生じている
かれこれ20年体調の改善を試行錯誤しているがここまで頸椎に影響が出ているのは初めてだ
身体って不思議だな、まったく想定外の箇所だ
安定するまでは無用な負担は回避するしかない、頸椎だと運転でも負担になるんだよね
一区切り、とりあえずお疲れ様だね
”「20代はどんな理不尽、苦労があってもアメリカにこだわると目標を立てた。ことし30歳になる。これからはやりたいバスケットボールをやる」”
アメリカではやりきった、ということなんだろう
先駆者は苦労が多い、特にプロスポーツは
野茂英雄、中田英寿(遥か昔に奥寺泰彦のブンデスリーガの実績や三浦知良のブラジルでの実績がある)などは今の野球・サッカーの世界進出の先駆けだ
それ以後途切れることなく日本人が各国トップリーグに流入している
バスケットでも田臥勇太、渡辺雄太、八村塁と続いていくのだろうか
国が逆転敗訴
”8人は未成年の時に1型糖尿病を発症。成人後に障害基礎年金を申請し、支給対象となる障害等級2級と認定されたが、国は2016年までに8人の等級を3級と見直し、支給を止めた。
控訴審で原告側は、症状が改善していないのに等級を変えることは許されないと主張。厚生労働省の認定基準も最新の医学的知見を反映しておらず、「ほかの障害と比べて厳しすぎる」などと訴えていた”
”症状が改善していないのに等級を変える”
国というのは自分たちに都合が良いことを躊躇なく行う
支出を減らそうと必死なんだ、「それ3級ね!」と変更すれば支出は削減されるのだから
そして争わなければ「そういうこと」になる
どんなに理不尽でバカバカしい制度変更を敢行しようと、やる側はなんら損失はない
しかしやられる側は「それはあまりにもおかしい」と裁判しないと覆せない
当たり前のようにそういうことをやるのがお国だ
自分には関係ないと思っていると、いつか自分がその理不尽な状況になった時に絶望することになる可能性もある
これなんかも大変だ
”難病だけど指定難病ではないため医療費は高額で障害者年金も難しく、見た目ではわからないことから「嘘つき」と言われることも多く、すべてを終わらせたい時期がありました。”
難病と診断がついたけれども障害年金もない
働けないけれども薬が必須である
”今は投薬治療が主です。薬だけでも毎月2万円以上かかっているので、試してみても満足いくまで続けられないのが現状です。”
そんな状態でどう生きていけとお国は考えているのだろうか?
この方は結婚なされているので配偶者が支えてくれている
これが独り身だと八方塞がりになる
以前のわたしだ
この記事の「線維筋痛症」も非常に幅が広い症状であることがうかがえる。困難は伴うが日常生活が健常者と同じように過ごせる人から甚だしく症状が悪くまともに日常生活が送れない状態の人もいるのだろう
そんな多種多様な症状について「線維筋痛症」という名称で一括りにして対処しようとするのが制度を作る側の人たちである
分かっていない人が制度を作っている。ただそれだけのことなのかも知れない
でも罹患者にとっては死活問題である
なんとかして社会保障費(医療費・介護費・年金)を削減しようとすると弱い者がさらに追い詰められることは間違いない
「声を上げることができない弱者」から切り捨てることが合理的と考える人も多いのかも知れない
世の中には絶対的な思考が異なる群がある
①無関心・他人事=自分には関係ない → 自己責任(自分には関係ないのだから、その人の問題という意)
②認める=その状況を認める、実際にあることとして認識する → 自分にも困難が起こり得る、現実には様々な異常事態が起こり得る
今は①の「無関心;自己責任」思考の人が増大しているように感じている
自分の問題でないと考えると、現実に自分に困難が起こって理不尽な状況に陥るまではそれを認識することもない
実際には「無関心;自己責任」思考で一生を終えられる幸福な人が多いのかも知れないけれど
他人は知らん、自分に利益を