雪は止んだが厚い雲が陽射しを遮断している
歯科医院の定期検診で「やや不良」、奥歯などで歯周ポケット3mmあり
以前から「力の入れすぎ」を指摘されていたので意識的に力を抜いていたらブラッシングも雑になっていたようだ
加減というのは難しい
検診後に山へドライブ
先週のまとまった雪ですっかり銀世界に戻っていた
ALS患者への嘱託殺人罪の判決がでた
”川上宏裁判長は「生命軽視の姿勢は顕著だ」として懲役18年(求刑懲役23年)を言い渡した。”
これは非常に難しい問題である
患者本人が「安楽死」を望んでいたことは確かなようだ
それに対する処置をした
患者本人でも各々で見解が異なることも想像に難しくない
一部の患者の意見が記されている
”その上でALS患者の増田英明さん(80)は「安楽死は医療に必要ではないことを(司法が)はっきりと示してほしい」と求めた。”
”ALS患者の岡部宏生(ひろき)さん(66)は「『全ての手を尽くした』というのは誰が判断できるのか」と主張。脊髄性筋萎縮症患者の大藪光俊さん(29)は「(死後に)治療法ができたときに取り返しがつかないことになる」などと述べた。”
言いたいことは分かる。もっともな主張でもある
しかし、そうでない主張もあるのだろう
オランダでは「安楽死」が法的に機能している
先日も元首相夫妻が亡くなった報道があった
当該裁判において裁判長から嘱託殺人罪に問えない(すなわち安楽死)ケースがあげられたことは興味深い
①苦痛の除去・緩和のために他に取るべき手段がない
②近親者らの意見や患者の意思を見極める
③事後検証のために一連の過程を記録化
④苦痛が小さい手段の選択
患者サイドはこの項目をあげたこと自体を批判する人もいると記されている
基本的には①の対処療法しか手段がなく悪化を経過観察するしかないという状況において②本人の精神が限界を超えて耐えられない状況に陥っているという場合に、最後の選択肢として「安楽死」が『ある』 or 『ない』ということであると思う
②で患者本人の要望を近親者(残される者)が拒否するのは「延命治療」と酷似すると思う。ただし「延命治療」の場合は本人の意識がない、あるいは正常な思考・認識が欠如している場合も多々あるのかもしれないな
例えば、『「安楽死」後に画期的な特効薬や治療法が発見される場合』ということもあるのだろう。
けれどそれは時の運である、未来のことは誰にも分からない
日進月歩で進歩してきたと言われるが、その疾患に対する画期的な治療法が成立するのがいつなのか?なんてことは誰にもわからない。絶対に分からないことを前提に話を進めることは無理がある
となると、少なくとも今の医学においては治療法がない。あるのは対処療法だけ。治療法が確立できる目処が今のところ全くない。という状況を一つの目安と考えてもおかしくはない
その目安を基準にしてあとは患者本人の訴えが最優先されるということが考えられる
それは当該裁判で裁判長が示した事項とほぼ一致する
②の「近親者ら」という文言を入れていることで残される者への配慮も示されている