元気なままポックリとうまくいかない | タマクローといっしょ♪

元気なままポックリとうまくいかない


健康寿命なんて言葉が一般的になってどれくらいかしら。



医療が発達していなかった時代には


老いて食が細くなったりしたら長生きするのは難しかった。



けれど、病院で流動食をもらったり、点滴や鼻から通したチューブでの栄養やら、


胃から直接の栄養分の注入ができるようになったことですし、


口から食べられなくても生きられるように。



意識がなくても、数年間昏睡状態でも、


誰もお見舞いに来なくても、


その栄養補給でずっと生きてらっしゃる方を病院勤めの時に多く見ましたが、


生きるって何だろうと、深く考えました。




先日、実家のご近所で50代で認知症になってしまった方のことを書きましたが、


お子さんはおらず、


旦那さんはまだ定年前で、


奥さんが認知症が悪化して「元気に徘徊してしまう」けれど家が分からない状態。



サポートがいろいろある、と、現実にその立場になっていなければ言えるかもしれませんが、


そうはいかないんですよね。


ダンナさんは、仕事に行けなくなりました。



病院に勤めていたころ、看護師長が言っていました。



「正直、暴れたり重い人は手に余るから、認知症で元気な人の入院は困るわ。


点滴しても管は抜くし、だからって少し拘束しても虐待って言われるし。


歩けると脱走しちゃうし。



正直、意識が無くて体重の軽いおばあちゃんが一番いい」



・・・。



現実にはそうですよね。


体重の重い軽いで入院費も介護費用も変わらないのに、


人件費は全然違ってきますし、危険もあります。



看護する側としてはそうでしょうね。


実際。



90キロ以上ある認知症男性がガンの治療で入院したときには、お風呂に入れるにも、


着替えさせるにも、大暴れするから4人がかりでした。



眼鏡が折れた看護師も、殴られて鼻血を出した職員も、負傷者続々。


噛まれたとか、蹴られたとか、毎日そんな報告ばかり。





私のご近所さんは、体はとてもお元気な状態で認知症が進んでしまったので、


ちょっと目を離すとどこまでも歩いて行ってしまい、


警察に保護されることに。



以前、ご家族が目を離したときに電車事故に遭った場合、


それを家族が保護責任者として補償すべきか問題になりましたけど、



これはもう、目が離せない。




家の中でも、刃物を全部隠したり、気が気じゃないそうで、


ダンナさんもちょっと精神的に追い詰められていらっしゃる。




誰もがそんな風になりたくないのに。


私もなりたくないし、ご本人だって、


さか50代でそうなると思っていなかったでしょうに。




元気で働いてある時家族に囲まれてポックリ、なんて


そんな死に方ってなかなかできないもんですよね。



家族に囲まれてなくても、こう、昨日まで元気で、


ふと眠ってそのままとか。




認知症には周囲の理解が必要なのだけれど、


例えば裸足で歩いている方を見かけても、徘徊されているのかどうか、


すぐには判断しかねるもの。



私の親類で、認知症の奥さんの介護に疲れ果てて


命を絶ってしまった方がいるので、他人事ではありません。




誰しも、そうなりたくはないのだけど、


選べないんですよねぇ・・・。



長寿って、長く生きておめでたいから「寿」のはずなんですが、


長生きがそのままおめでたいと言えないのは、


悲しいものです。