オグリキャップの思い出 | 福間香奈さんを応援するブログ!

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女流棋士の福間(旧姓里見)香奈さんを応援しています。その他将棋や自分の日常のことなど。

(上から、天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念のオグリキャップの単勝馬券。有馬記念は勝って払い戻したので手元にはコピーしか残っていない。)

 

 オグリキャップが勝った有馬記念からもう30年以上が経ってしまった。昨年末に当時JRAに勤務されていた格闘家(柔道家)の小川選手の回顧記事が文春オンラインに載り、あの時の異常な興奮が思い出された。私は、レース終了後も人込みで身動きがままならないのと、余韻にいつまでも浸っていたくて、正確には覚えていないが中山競馬場に1時間くらい残っていたように思う。競馬場内のあらゆるところにレースやオッズを表示するためのモニターが設置されているが、何度となく有馬記念のレース放送が繰り返され、30回くらいは見たのではないかと思う。燃え尽きたと思われていたオグリキャップが先頭でゴール板を駆け抜けたが、大観衆の熱狂による空気圧で他の馬は前に出ることができなかった。少なくともそんなふうに感じた。オグリキャップの単勝オッズは5.5倍だったが、引退の記念で買う人や応援馬券として買う人が多く、10倍が付いてもおかしくない状況だった。競馬専門紙でオグリキャップに本命◎を付けたところはなかったと思う。ただ、まったく勝つチャンスが無かったというとそうとも言い切れず、産経スポーツのコラムでレジェンド岡部騎手が、オグリキャップを含めて何頭かの馬にチャンスがあると書かれていたはずだ。と言うのも絶対の人気馬が存在せず、G1未勝利のメジロアルダン、4歳馬(今風に言えば3歳馬)でクラッシックに勝てなかったホワイトストーンやメジロライアン、秋の天皇賞馬ながら中山右回りとは相性の悪いヤエノムテキ...、要は混戦模様だった。この年の菊花賞馬になったメジロマックイーンは体調不良でレースを回避。後の春の天皇賞連覇などの実績を考えると、あの年に体調万全で出られたら2500m戦では相当強かっただろうと思われる。

 オグリキャップが勝った要因の一つとして、武豊騎手が乗ったからということも多く言われていた。武豊騎手が天才だということもさることながら、オグリキャップが圧倒的な強さを見せた同年春の安田記念で騎乗していたからだ。1600mのマイル戦ではあるが他の馬を寄せ付けない完勝であった。レース後の場内インタビューで、武豊騎手愛馬のスーパークリーク(だったか、ここは少し忘れている)とどっちが強いと思いますか?と聞かれ、「僕は馬を比較するのは好きじゃありません」と年輩のインタビュアーに対してもきっぱり言い切った。そこで打ち切っては後味も悪いが流石は天才、言葉も切れて「ただ、マイルまでならこの馬に敵う馬はいないんじゃないですかね」と。距離が違うと言えど、一番強い時のオグリキャップを知っていたので、有馬記念の時も状態は違っても、馬の強さを信じて騎乗出来たのではないかと。馬は人以上に敏感な生き物なので、勝てると思っていない騎手が跨っては勝てないのだと思う。

 そして、今でもずっと知りたいと思っていることが一つだけある。オグリキャップの弱点は手前を変えるのが下手なので、コーナーを回る時に一瞬置いていかれる癖があると。競馬界内では周知のことだったかもしれないが、オグリキャップのライバルであるスーパークリークやバンブーメモリーにも乗っていた武豊騎手自身もインタビューなどで言われていたかと思う。先に私は、レース後に競馬場内のモニターを30回くらいは見たと書いた。その中で、一番記憶に残っているシーンは4コーナーを回り始める時に、武豊騎手がチラッ、チラッと2回ほどコーナー先からゴール板の方に顔を向けていた。あたかも、「オグリよ、このコーナー、ここのラインを通ってこのタイミングで曲がるんだぞ」と武豊騎手がテレパシーで合図を送っていたかのようだった。少なくとも私にはそう見えた。そして、「ここを、こう曲がって進めば勝てるぞ」と気合を送っていた...。本当のところは武豊騎手に聞かなければ分からないが、私から確かめるすべはない。

 

 当時のスポーツ新聞や愛読していた日刊競馬などをもう一度読み返してからこのブログ記事を書こうと思っていたが、どうやら去年捨ててしまったようだ。それすら忘れていた。最近は昔の本や雑誌などをどんどん捨ててしまっている。いつかはまた見たいと思う日が来るだろうと思うものの、実際にはほとんど役に立たないことの方が多いからだ。そう思うようになったのは、2年前に両親を老人ホームに入れ、昨年は実家を改築して姉夫婦が住むようになったので両親の荷物はあらかた捨ててしまった時からだ。もちろん、親の了解を取り、アルバムなどは姉がきちんと残して保管しているが、ほとんどのものは親自身すら興味を失ってしまっている。

 ここのブログも自分なりに一生懸命書いてはいるものの、それがどうしたというのか。ただ、書かないといつまでも自分の記憶(と感情)を整理できないし、まだ親のような年齢になるには時間があるので読み返すことがあるかもしれないし、少しでもここを読んで何か思ってくれる人がいるのであればと、そんなことを思って昔のことを書いてみました。

 

2022/2/26追記

部屋を掃除していたら、思いがけない場所から新聞スクラップが出てきたので(^^;)、続編を書くことにしました。