福島リアルメンバーさんが、
緊急スピンオフ企画を立ち上げました。
興味がある方は参加してみてください。

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福島リアル 緊急スピンオフ企画 
~toshi presents

 
「君の歌を聴きたくて・・・spring」 

開催のお知らせ。

春の遠足を前に、その勢いで、僕が個人的に企画をしました。

内容は、「一緒にカラオケに行こう!!」です。

新年度を迎え、忙しい最中の、4月14日(土)の開催です。
空気読めよ、と言わないでください。

みんなと話したことはあるけど、歌声は聴いたことはない。
聴いてみたい・・・
その思いを、この春風にのせてみました。

初めての出会う人同士でも歌える方。
初めて出会う人の歌を聴ける方。
歌は歌えないけど、聴くことは得意な方。
3人だけのカラオケでも、楽しめる方。

などの方の参加をお待ちしております。

募集人数は、コネなしの、先着限定10名です。
もし、よかったから、参加してみてください 

ライブ感溢れる、楽しい時間を共有しましょう!!


開催日時:平成24414日(土)19時開演 22時終演予定

開催場所:ROUND 1(ラウンドワン) 郡山店
(郡山駅裏 郡山駅東ショッピングセンター内)

募集人数:先着限定 10名

3名から実施します。
※ 時間は3時間を予定しています。
※ 当日の待ち合わせ場所は、ラウンドワン郡山店入口に
  18時45分に集合願います。

参加費:2380円(3時間歌い放題+飲み放題(※1)付)
 ※1.アルコールは2時間飲み放題、ソフトドリンクは3時間飲み放題になります。

 ※なお、上記金額は、団体割り(6名以上)の料金になります。
   6名未満の場合、上記金額プラス300円になりますので、ご了承ください。

※お料理に関して
   ・団体割適用の場合、ポップコーンとたこ焼き(1個)が提供されます。
   ・お料理は、各自負担でのご注文となりますのでご了承ください。


申し込み先:e-mail : kimino_uta69@yahoo.co.jp  (渡部まで)
 

 下記アドレスに必ず、氏名、連絡先(携帯電話番号)を記入の上、
  お送りください。追ってご連絡いたします。

 twittr ダイレクトメール : https://twitter.com/#!/samemoon69

 ※予約の都合上、4月8日(日)22時締め切りとさせていただきます。
 ※ミクシィからの参加申し込みの場合でも、上記アドレスにお申し込み願います。
 ※ツイッターのダイレクトメールからの申し込みも可能です。
 ※先着順になります。確実に参加できる方のみ応募願います。
 ※定員に満たない場合、ツイッター、のみで再告知いたします。
 

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以上、よろしくお願いいたしますクマ



『あきえのブログ』からのご紹介です旗

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3月22日。東京へ行ってきました。

目的は有楽町ルミネで開催されている



47都道府県の桜の枝を集めて、
いっせいに咲かせるというイベントです。



わざわざ東京まで行った理由は、

・桜が好きで、単純にこのプロジェクトに魅力を感じた。

・22日はたまたま仕事が休みだったのと、
 プラントハンターの西畠清順さんと箭内さんのトークショーがある。
 箭内さんのトークショーといえばあきえの出番(笑)

・このタイミングで休みだなんて「行ってこい」
 と言われた気がした(誰にかは知らないww)

・ずっと東京に行ってなかったので東京に行きたかった。

てな感じです。



47都道府県の桜をどんなふうに飾るのか。

想像つかなかったけど、

見た瞬間思わず『わー!』って声をあげてしまったぐらい素敵な桜でした。

それは、大きな花器に枝を入れて、まるで1本の木のように飾られていたのでした。


「福島リアル」活動日記

桜は桜でもたくさんの種類があるので、
色とりどりの花が咲き誇っていて、それがまたキレイ。

ボキャブラリーがなさすぎて伝えられないのが悔しい(涙)




清順さんと箭内さんのトークショーでは、
まずお二人がステージにあがるなりワンカップで乾杯。

お花見だからね。箭内さんは2~30の間に2本空けました。



トークはこのプロジェクトに対する思いや
枝を取りに行った時のステキエピソードなどなど。盛り沢山。



『今の日本はバラバラになっている。この桜のように1つになってほしい』
と、箭内さん。うん。ほんとだよ。



それと、こんなステキなプロジェクトでさえ批判がきたって。
このプロジェクトだけじゃない。
被災者を、日本を笑顔にしたり元気にしようとする事に対して
批判があるなんて悲しい。



終始ギターを弾きながらにこにこトークしていた清順さん。


このプロジェクトで初めて知ったけど、
人柄の良さが作品と顔に出ていたような感じがしました。
(素人が生意気言ってすみません)



そしてみんなで『I love you & I need you ふくしま』をハミングで合唱。

ラララで歌ってくださいって言ったけど、
私と友達はがっつり歌詞付けて歌いましたww

東京でこの歌が歌えるなんて。
歌いながら涙をこらえるのに必死でした。



最後にお二人の思いとメッセージを花器に書いてトークショー終了。

清順さん 『念ずれば花ひらく』

箭内さん 『WE ARE THE ONE UNDER THE SAKURA TREE』

清順さんは高校球児だったそうで、監督がおっしゃっていた言葉だそうです。
  

枝にはそれぞれ県名や桜の種類が書いてある札が付いていて、
来た人それぞれの出身やゆかりのある県の枝を探せました。

それがこれです。


「福島リアル」活動日記

「福島リアル」活動日記
ここにしかない素敵な桜。

福島の桜は有楽町でいろんな桜に囲まれて
凛々しく静かに咲いていました。







福島リアル「友達の木」


メンバーからのお知らせです。


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USTREAM配信「福友ch_そらいち」を始めました。
(画像をクリックすると配信ページに移動します。)

「福島リアル」活動日記

誕生日は、2012年3月11日。
そう、あの日からちょうど一年の日。

きっかけは2月の福島リアルぐるっとコミュニティ。

決して簡単ではなかったけれど、
福島リアルの声がインターネットを通じて世界に流れた。

そして、USTREAMを上手に、格好良く操る友達に出会ったこと。

これまで経験したことのない、
切ないこともたくさんの出会いも、
本当にひとのエネルギーを感じた一年。

このちからを無駄にしたくなくて、
何かしたい自分がいて。

でも周りの人を巻き込んで動き出すことができなくって。

そこで思いついた、USTREAM配信です。

自分のペースで、自分にいちばん近いインターネットの環境で、
自分の声を発すること。
とてもシンプルで自分らしい。

きっと来年の3.11には、
「USTREAM始めて一年かぁ。」って思える。

そしてまた何かを始めて、誕生日にしてしまおう。

毎年何かを始めれば、
あの日を忘れることはなくっても、
ひとつづつの笑顔が増えるだろう。

いつも私の前には、いちばん近い人が座ります。

二人のたわいもない、日常の、
いや日常になりつつある日々の会話です。

気が向いたときに、見てみてください。

それから、もうひとつ。
福友ch_〇〇〇〇。

ふくしまを想う、いろんな声が聞こえてきたら、楽しい。

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福友ch_〇〇〇〇。

やってみたい方は友達が応援します!

fukushimatomodachinokiアットマークgmail.com
(メールを送られる際はアットマークを@に変換してください。)

このアドレスは福島を想う友達に届きます。
どんなことでもお気軽にコンタクトお待ちしています。


※「福友ch_そらいち」USTREAM配信は、
そらいちさんのリアルな生活ペースで行われています。

生配信をご覧頂きたい方は、@dsk_blue ツイッターをチェック!
それぞれの生活のペースで楽しみたい方は、
アーカイブでお楽しみくださいビックリマーク




福島をずっと見てほしい。そんなブログ【Vol.23】


DIVE福島を立ち上げたメンバーのブログ

「あの日から」


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あの日からちょうど1年が経った昨日。
俺たちはライブのステージに立たせて貰っていた。


1年前には考えられなかった今現在。

それはいろんな意味で言える事 。

1年前には放射能の事なんて誰も話していなかったし、

一瞬で景色が変わってしまう事や、

一瞬で多くを失う事なんて想像した事も無かった。

きっとみんなそうだと思う。


失ったものは大きく。

取り返す事は出来ない。


あの日を、あの日までの生活を、また過ごすことは出来ない。


でも、立ち止まるわけにはいかない。


歩ける人間に出来る事は、歩き続けることだと思う。


すくなくとも俺はそう思っている。


よく思うんだ。

震災前と後では、どちらの自分が良いかって。

俺は後の方が楽しく生きていると思う。

新しい出会いが沢山あったし、やりたいことも見つかった。


そんな中でバンドを結成し、オリジナルを作り、ライブに出て、

いつの間にかライブのお誘いをもらえるようになっていた。

震災前には思ってもみなかった事だ。



1年の節目。

俺は歌っていた。

下手くそな歌を。

それでも歌うのは、諦めない気持ちを伝えたいから。


福島だけじゃない、他でもそう、諦めないで行動しつづける事。

それがどれだけの力をもっているか証明したいから。


あの日から1年

今年は変革の年になるだろう!



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福島県内で活動しているバンドを集めた

ライブイベントDIVE福島』 。


ホームページのリニューアルや

『DIVE福島Vol.2(5月開催予定)』など

今後の展開も楽しみです。


詳細は決まり次第HPやツイッターでお知らせするそうなので、

要チェックです!


「福島リアル」活動日記


  「福島リアル」活動日記



ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その5) 


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放射能を過度に恐れていた事から解放されたけど、

その後は福島県外から流れてくる心無いデマに苦しめられ続けて来た。


「福島市のある同じ高校で、二人が心筋梗塞で亡くなった」とか

「浪江町の汚染砕石が阿武隈川に捨てられた」とか、

現地に住む人間として首をかしげるものばかり…


そのデマを拡散しているのが知識人や著名人、

大企業の社長や政治家だったと知った時は、

日本人はこれほど放射線(放射能)に対して最低限の知識も、

安易にデマを垂れ流している事に罪悪感も無いのか?と絶望した事もあった。


市民団体も色々あって、農地・市街地の除染等を支援してくれる所もあれば、

□□菌など、科学的根拠もないものを勧めたりする怪しげな団体もあるし…

一概に信用出来なくなった。


また宮城岩手の被災財(震災がれき)を客観的なデータを無視し、

「放射能汚染されているがれきを受け入れることは日本の破滅」と

実際某政治家の支持者らしき人間にTwitterで言われたこともあった。


彼らは放射能(放射線)の基本的な性質・特徴や

ふくいちから宮城・岩手の被災地がどのぐらい離れているのか?


現地の地理も実情も調べもしないし、

自分たちが出すゴミが全く有害な化学物質も放射性物質も無い

クリーンなゴミであると思っている(思い込んでいる)


また、ごく一部のマスコミの放射能への不安と絶望を煽る記事・番組にも

何度も怒りを感じた。

特に許せないと思ったのが、

某週刊誌の「自主避難者の子どもに甲状腺ガン」の記事。


実際の甲状腺の検査結果は全て「良性」だったにも関わらず…

しかも、自主避難者された方々の意志を無視して勝手に公表されて…


また、日本の脱原発運動は至極当然の流れだと思う。

福島であれだけの事故が起きて、

今もなお放射能で苦しめられている方々がいるのだから、

殆どの福島県民は脱原発を支持するし、自分も同じ考えです。


でも、今年の3月11日に自分の住む郡山市で行われた脱原発デモは、

政党や組合等の組織を総動員して2万人近くの人間を集め

【わざわざ】乗り込んで来た。


福島県内でも様々な考えを持つ人間が沢山いるし、

デモをやるなとも言わない。

でも、3月11日【だけ】は地震と津波で亡くなった人を

偲ぶ事が出来ないのか?と思う。


会津にだって中通りにだって

浜通りに知り合い・親戚がいる人間だって沢山いるんだよ…

郡山市でも1人の方が建物の倒壊により亡くなっているし。


そして彼らに本気で脱原発を実現する意思が

あるのかどうかも正直疑問です。


原発を全部止めても電力は足りるとか言ってる方々がおられますが、

それは火力発電所がフル稼働をしたり、

各企業・家庭が必死で節電しているからなんとかなっているだけで、

実際の電力配給は綱渡りなんですよ。

各電力会社の電気予報見ればわかるでしょ、そんな事ぐらい…


本当は日本国民全体でこれからのエネルギーをどうするのか?

原子力に依存しない社会を作るにはどうしたらいいのか?

考えなきゃいけない「ハズ」なのに…


デモで騒いでいる方々はただ「チェルノブイリでは~」とか

「(子供たちの為に)原発をなくせ」だけ連呼するに飽き足らず、

あたかも福島県民に健康被害があって欲しいと願う言動も

一部の脱・反原発を主張する人間の口から聞かれるし…


放射能の実害以上に福島を、岩手・宮城・北関東の被災地に住む人間を

どれだけ傷つけ、苦しめているのか…

お前らにわかるか?この気持ちを?


国や東電にこの福島を滅茶苦茶にされた事は絶対に許せない。

でも、被災地を、福島を侮辱する人間、

それが脱・反原発を主張する人間であれ

不安を煽るだけのマスコミであれ絶対に許せない。



だから、これからも福島に、被災地に住む人間として

現地のリアルな声を上げていきたいと思う。


ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その4)


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インターネットを再開したのは震災から3日後、

壊滅的な被害を受けた自室だったけど、

ネットが出来るかどうか確かめるために二階の自室へ向かい、

ネットワークの被害状況を調べてみる。


地震でケーブル及び回線終端装置がダメになっていると思いきや…

ケーブルは被害なしで、回線終端装置は固定用の台は壊れたものの、

通信自体は問題なかった。


とは言え、原発事故に伴う電力不足で

(首都圏が)輪番停電を開始した直後だったので、

被災地の自分たちも節電しなきゃ!と言う意識が非常に高く、

ネットをする時間は限られていた。


Twitterに関して、アカウントは震災以前からあったものの…

長い間休止状態だったので事実上震災を機に始めた…

と言ってイイね…(;´Д`)


正直、記憶が曖昧になっているのだけど、

当時のTwitterは被災地・福島差別が酷くなかったし、

「PRAY FOR JAPAN」とか「頑張ろう日本」とか「絆」とか、

今聴くと正直「(自分の中では)軽く感じてしまう言葉」が

TL上を賑わしていた。


当時は環境テロリストのGP(グリーンピース)とか

チェルノブイリのなんたら~とか、

国よりも早く(放射能汚染の)データを出してくる市民団体を

国や県より信じていた。


当時は「今の福島が放射能災害で危機的な状況で、

子供たちだけでも速やかに県外に避難させるべき」と思っていたのもあるし、

純粋に人間の善意を信じていたのかも。


TV局が全部震災・原発事故の報道特番一色になり、

もう津波とか原発(の水素爆発)とか見たくなかったので、

避ける様に某動画サイトを見るようになったのだが…


その時に某?元?俳優が参加したていた「オペレーション…」と

某K.T教授の存在を知る。


K.Tの講演会(二本松市)がサイトで生中継されていたので見てみる。


当時の彼は「野菜は洗えば大抵の放射性物質は落ちる」

「除染は早いうちにやるべきで、除染で出た土はふくいち周辺に持っていくべき。

東電で出したゴミなのだから東電が引き取るのは当たり前」

「野菜は子供たちには控えるべきだか、大人は積極的に食べるべき」等…


それから数ヶ月後の言動の変わり様に驚きと怒りが湧いてくるが…

当時は必死でメモを取った記憶が。


それがきっかけになったのかな…


放射線に関する様々なサイト見て、

放射能を「むやみに怖がる」のではなく

「正しく怖がる」様に考えが変わったのは…


子供の頃から放射能に対する恐怖は広島・長崎・スリーマイル

・チェルノブイリ…と散々学んできたけど、

今まで放射能(放射線)が核兵器・原発以外で

どの様な目的で使用されていたかなんて殆ど学んでこなかったし…


基本の放射線・放射能・放射性物質の違いから、

Sv(シーベルト)Bq(ベクレル)の単位の意味、

放射線の種類(α線・β線・γ線・中性子線・X線)と性質から

現在の福島の汚染状況まで色々勉強して徐々にではあるが…


放射能コワイコワイ病(放射能)から脱却する事が出来た。





【(その4へ)続く】







ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その3


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ふくいちの水素爆発の映像が頭から離れず、

この時点で完全な放射能コワイコワイ病(放射脳)だった自分。



相談できる相手が居ないし

(家族は放射能に関して無知で、

同僚や職場の上司は放射能の話題に触れないし)


皆それぞれ不安だったと思うけど、

当時は自分だけが取り残されていた感じで…

今思えばあの時ほど孤独を感じたことは無かった。



15日(だったと思う…)会社から約1週間の自宅待機命令が出る。

上司曰く「この先(原発が)どうなるかわからないから取り敢えず待機しろと。」



この時が一番ふくいちが危険な状態だったのかな…

県民健康調査票に一緒に付いていたカレンダーで見る限り(;´Д`)



2号機で爆発音、4号機の外壁破損確認及び火災発生、

原発から半径2030km圏内屋内退避指示…)



今、自分の目には見えないけど確実に原子炉由来の放射能があって、

その放射能で将来どんな影響が出るのか全くわからない。



そんな不安もあり、自宅待機中の1週間、

家の中でもマスクを付け極力外には出ない様にしたし、

オカンとばあちゃんが窓を開けっ放しにしただけで

「何開けっ放しにしてるんだ!!」と激怒。



一番酷かった時は自分以外の2人がゴミの片付けなり、

スーパーへの買出しに出かけたり…と用事をこなしているのに

コタツから一歩も動かなかった事も。



また、例年この時期は軒先に干し柿を吊るしたり、

庭ではネギを栽培していたんだけど、


ふくいち立屋からの水素爆発で飛散した放射性物質が

どれだけ付着しているのかも不明だったので、

祖母が庭先から家に持ち込もうとするなり

「何持ち込んでるんだ!」と激怒したり…



食事に関しても、当時は郡山でも微量ではあるものの、

放射性セシウムやヨウ素が水道水から検出されていたので、


味噌汁を飲むたび、ご飯を食べるたびに

「内部被曝への恐怖」が脳裏をよぎる。



今だと

「…はぁ?お前何を言ってるんだ?

人間は原発が出来る以前から食べ物経由で

放射性物質を取り込んでるんだよバーカwwwm9(^Д^)プギャーwww


と一蹴する内容でも、当時の俺は

放射能コワイコワイ病から来るヒステリーで

(精神的に)1ベクレルすら体内に入れたくなかった。




【(その4へ)続く】











ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その2


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312日朝、度重なる余震と今後の不安もあって


2時間ちょいしか眠れぬまま起床。



お風呂に入っていないので髪はボサボサ、

体もベタつくし…最悪の目覚めと言ったところか。



午前7時、車に乗り込んで会社へ向かう。


昨日は夕暮れの為、暗くて良くわからなかったけど、

道路の所々に陥没や歪みの跡が見られ、

今回の地震の揺れの大きさを改めて思い知らされる。



午前7時半、会社に到着。復旧作業の前に、

会社側から放射能対策(!?)としてマスクを支給されたけど、


これだけで放射性物質を防ぐ事が出来るのか?


しかも窓も全開だし…作業前から激しく不安…(;´Д`)



12日の作業内容は地震で倒れてしまった装置を

元の位置まで戻したり、周囲の清掃等の雑用がメイン。



この時点では断水の為、水道がまだ使えなかったので、

本格的な復旧作業は出来なかった。 



1536分にふくいち(東京電力福島第一原発)一号機にて


1回目の水素爆発が起こる。



この時、FCT(福島中央テレビ)のライブカメラが

ふくいちの立屋が爆発する映像をリアルタイムで見た様な気がする。

*補足:見た様な気がする…ッテナンデヤネン┌(`Д´))゜∀゜)


ってツッコミが来るのは重々承知なのですが、

歳なのかそこの記憶がもうぼやけて…



俺は家でその映像を見た気がするのですが…

ごまかしもいけないと思ったので敢えてこの表現にしてみました。



この水素爆発の映像を見て、

自分も正直「もう福島は完全に終わった」と思ったし、

いつ国や県から避難命令が来てもイイ様、

貴重品や変えの衣服・下着等…を枕元に常時置く事に。


(当時は生き残る事に必死でしたから、

当然県外への避難も選択肢にありました。)



母親(当時59歳)と祖母(当時81歳)は

30年後なんて、年齢的に自分達はこの世にいないのだから、

別に放射能で被曝しても構わない(ガンになる前に亡くなっているから)」

「生まれ育った郡山から離れる事は出来ない、避難しろと言われても残る」



アンタらそれでイイかも知れない、けど、

俺はまだ30年以上生きなければならないんだよ?

俺は絶対にガンなんかで死にたくもないし、

生き残りたいし、出来れば今すぐ福島から避難したい…


今思えば絶望的な感情が自分の周りを支配していたと思います。


考えれば放射脳予備軍…って所か(!?)


【(その3へ)続く】




ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログを、

5回に分けて紹介します。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その1)

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あの日から1年…という事で、

震災当初の自分が見た状況を思い出しながら書いてみようと思います。



ただ、記憶が曖昧で時空列がおかしくなっているところも

あると思うのでご容赦下さい。



自分が被災したのは会社の駐車場。

遅出出勤の為、2時間遅れの昼休みを車内で過ごしていた時の事だった。


カーナビでTVを見ながらぼけ~としていると1446分に地震が発生。


すぐ収まるだろう…と思ったら徐々に揺れが大きくなっていき、

(車内も)激しい揺れに襲われたので急いで車の外へ逃げた。



職場に向かおうとすると、「こっちへ来るな!!」と上司の声が…

視線を向けると窓ガラスどころか建物自体も激しく揺れ、

中から従業員が飛び出してきた。



周囲は地響きと建物自体の揺れから来る

いつもは聞いたことのない音と女子社員の悲鳴が上がり、
あまりにも想像を超えた状況に恐怖と言うよりはただ笑うしかなかった。


何かの機械の上に乗っている様に大きく地面が横揺れしているし…

ガキんちょの頃に宮城沖地震も日本海中部地震も体験しているが

このスライド感(!?)は今までにないものだった。




2分近く(!?)続いた本震が収まり、ようやく皆の所へ向かう。


少し同僚と話した後、職場の被害確認の為建物に入るのだが、

頻繁に余震が起き、激しい揺れが来るたびに作業を中断し外へ逃げる。


今思えばあの揺れによく耐えたなぁ…と。

ボロっちい建物なのに(´・ω・`)



設備の配管が所々壊れて水漏れを起こし、

(地震発生時)作業中だったため、

機械に投入した製品が全てダメになってしまった。



機械そのものは手動で動かせるので、

ダメになった製品を水洗槽へ全部移動させて

(従業員の家族の事もあるだろうし)
今日はこの時点で全員帰宅し、明日復旧作業をしようと言う話に。



1人で留守番している祖母の身が心配だったが、

携帯から連絡しようと思っても電話が全く通じない…

働いている母も連絡が全く取れず…不安ばかりが付きまとう。



17時頃、皆が続々と帰宅していく中、

自分は残った同僚達と携帯のワンセグでニュースを見ていると、
仙台空港と仙台平野が津波に飲まれていく映像を見て絶句…



「今まで想像もしていなかった事が現実に起きている…」



この時、「バカみたいな揺れと津波が来たけど、原発は大丈夫…だよな…?」

と思いが頭の中を過ぎる。


しかし、その危惧は数時間後に現実の物となるとは

自分も他の人間もこの時点で誰一人思ってもいなかった…。



17時ぐらいになると渋滞も解消されたのか、比較的余裕帰宅出来た。

一番不安だった祖母や母の方は怪我も無く一安心。



しかし、部屋の中は倒れた家具と崩れた壁で直視できない状態だったし、

風呂場は天井や側面のタイルが全て剥がれ落ちていた。


2階の自分の部屋もTVとタンスが倒れPS3とノートPCはその下敷きに…

(幸いな事に両方壊れずに使用可能でした。)



ライフラインに関して、電気水道は何ともなかったが、

ガスボンベが斜めに傾いてしまった為にガスが使用不可能になる。


取り合えずTVで今回の地震の被害の大きさを思い直しながら

3人で周囲に飛び散ったガラスと食器の片付けをする。



19時頃、政府が東京電力福島第一・第二原子力発電所の緊急事態を宣言。



まさか…と思っていた事が現実のものとなり、

5分おきに来る余震に加え見えない放射能に怯えながら12日を迎える事に。


お風呂にも入れず、満足に眠れる状態でもなかったけど、

今思えば良くあの状況を乗り越えられたと思う….




【(その2)へ続く】

























福島をずっと見てほしい。


そんなブログ 『Vol.21』


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「あれから1年」

あの日から1年が経った。

経験したことのない大地震。
恐怖にパニックになりながら、家族や友人・知人の無事に涙した日。



そして原発事故。



何も考えられず、とにかく避難した。
避難先の埼玉で、残ったみんなの事を思うと後ろめたく、

地元の為に働いたりボランティアにも行けない子持ちの身が情けなかった。

とにかく毎日泣いて、お酒に逃げていた。


結局は仕事再開にあたって、10日程の避難で帰って来てしまい、

それはそれで「子供の為に避難したはずなのに…」という

後悔のような疑問のようなものが残った。

県外の何人もの友達から心配のメール。

ありがたかったけれど、ある友達からの

「生活と子供の命を天秤にかけるの?」という内容に、追い詰められた。


持病あり&シングルマザーの私が親だったから…と自分を責め、

子供を養子に出そうかと思った事もあった。

そんな時にあった「LIVE福島」
たくさんのミュージシャンとたくさんのお客さんが、こんな福島に来てくれた!
そのことでどんなに励まされたかわからない。


そしてもうひとつ、「福島リアル」の存在を知った。
立場は違っても、同じように悩みと苦しみの中で、

それでも前を向こうと頑張っている人たち。
私も一緒に頑張りたいと思えた。

新年を迎え、あれから1年が過ぎ、今は思う。

私は避難できなかったんじゃない、福島で生きる事を選んだのだと。


ここは私の故郷であり、息子の故郷で、避難したたくさんの人たちの故郷だ。


誰かがここを守らないといけない、再生しないといけない。


みんなが安心して戻って来られるようにするのは、

福島に残る事を決めた私の使命だと思う。

迷い、苦しみ、悩んで泣いて…絶望しそうにもなったけれど、

それも前に進むための大切な時間だったのだろう。


今も何の心配もないわけではないけど、

ここが住めない土地になったとは思っていない。

知恵と力を出し合えば、ここで生活していくのは可能なことだ。


今日から福島のもうひとつの新年!


「あいらーびゅーべいびー、ふくしーまー♪」と元気に歌う息子が、

大人になってもその気持ちを持ち続けてくれるよう

私は笑顔で故郷を守っていこいうと思っている。