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母は母のままで③

 

ここでいったん経緯をもう少し。

 

そもそも…

母を女王様👑にしてしまった張本人は、

はっきり言ってだと思う。滝汗

 

母が80歳で大きく体調を崩した当時、今後は一人にしておけないということで

家族から母の介護を託された私。

 

今後恐らく壮絶になるであろう介護生活への覚悟を決めて、仕事も辞めた私には

『きちんと母の面倒をみなければならない』という妙な使命感キラキラ真顔があった。

 

たしかに当時の母は幸い寝たきりではなかったものの、

認知症の症状が色濃く出ていたし体力もかなり落ちていたため

明らかに介助が必要な状況だった。

 

前回でも触れたが

「あれやって」「これやって」

という母のどんな細かい要望にも、

『母のため』という一心で一所懸命尽くしてきた。

 

時にはやり過ぎかと思えるほど…

 

いや、あきらかにやり過ぎた。(笑)

 

 それでも

そのかいあってか

およそ5年の間に母は徐々に徐々に元気になっていった。筋肉爆  笑

 

『記憶障害』は変わらずあるものの、

それ以外は昔のしっかりした母に戻りつつあったし

 

転倒防止の体操や頻繁なトイレ通いが功を奏し(笑)杖はついているが足取りもしっかりしてきた。

 

母が目に見えて元気になってきたことで「良かった、良かった」キラキラと家族も喜んでいたが

 

そうなってくると今度は

変わらず献身的な介助をしている自分に違和感をおぼえるようになってきて

 

ある夏の日

汗だくになりながらしゃがんで母に靴を履かせていたとき

 

「あれ?私、なんでこんな召使いみたいなこと毎日してるんだろう・・」

 

なんて、突然腹立たしい気持ち🔥真顔が込み上がってきて

 

その思いは日に日に膨らんできた。

 

 

そんなわけで、、、

 

この度の淑子さんとのご対面に至ったのであった。(ようやく話が戻る(^_^;)

 

で、

 

淑子さんとの対面作戦は結果としては一応成功と思えた。🙌

 

その後の母は

 

「淑子さん90歳なのにすごいねびっくり

あたしも“年だから”なんて言ってちゃ駄目だね、頑張らなくちゃ!」おねがい

 

と、少しずつではあるが自ら出来ることの範囲を広げていくようになったのだ。

 

そして、私にも

 

「ごめんね、いつもありがとうね」🙏

 

と感謝してくれるように・・飛び出すハート

 

母〜デレデレ

 

 

ところが、

 

しばらくするとまた

 

「仕方ないわ 年だから・・」

 

と言って、がんばれば自分で出来るであろう事も

また「あれやって」「これやって」と頻繁に指図するように・・

 

しかも

 

「まったく❗80代の年寄りを2時間も一人にしするなんて!」ムキーむかっ

 

などと怒り出したりして

 

いつのまにかまた逆戻りに…チーン

 

認知症の仕業なのかはわからないがやっぱり忘れてしまうようなのだ。

 

それでも今度は私も黙っていない。

 

淑子さんは5歳も年上なのに毎日一人暮らしで頑張っているよ!

母さんはいつでも家族がそばにいて幸せじゃないの

1時間や2時間の留守番くらいで怒らないでよ!」

 

とすかさず切り返す。

 

 すると母は、ハッとした様子で

 

「あーそうだよね うんそうだったね ごめん 

あたしも頑張らなくっちゃね・・」キョロキョロあせる

 

と自分に言い聞かせるようにつぶやいて、また自分で色々頑張るように…。

 

 

これは想像以上に効果があると思い、その後もなにかにつけて

 

「淑子さんは・・」「淑子さんだったら・・」などと

 

すっかり『淑子さん』というワードの武器を乱用するようになってしまった私だった。

 

そう、まるで水戸黄門の最後の決めゼリフ

 

「この紋所が目に入らぬか〜」スター

 

と、悪人に印籠を突きつけるかのように…。

 

そのたびに

「そうだよね ごめん」と反省している母が、なんだかやけに小さく見えてきて

 

今度はだんだん自分が母をいじめているような感覚になってきてモヤモヤするように・・

 

忙しい私の感情・・笑い泣き

 

 

 

そしてある時、

 

私のそんな「淑子さん」攻撃に対し

 

とうとう母は

 

なにも反応しなくなってしまったのだった。ゲッソリ

 

 

 

④へつづく