先ほど視ていたテレビ朝日の「モーニングショウ」で、新入社員の五月病を取り上げた後、定年後に五月病にかかってしまう人たちも取り上げていた。特に会社人間として懸命に生きてきた男性が定年を迎え、仕事を失い、会社に行かない生活に戸惑い、家から外出もせず、ボーとしてしまい五月病状態になってしまう例が多いと専門家の先生が指摘していた。五月病とは異なるが、老生の経験からすると、定年後体調を崩し、亡くなってしまった先輩を何人か存じ上げている。

 

先輩世代は、戦後の復興から立ち直り、我が国をアメリカに次ぐ経済大国にした猛烈社員たちだった。当時は55歳で定年、まだ高齢者と呼ぶには早い年齢だったが、激烈な競争社会を生き抜いたために、生命力を使い果たしてしまったのだろうと拝察した。あとを引き受けた我々世代は定年前に、バブルがはじけてしまい、会社が倒産したり、リストラにあったりして、定年を迎えてもボーとしていたりの時間はなく、別な仕事に就く必要があった。その為、定年後直ぐに亡くなってしまった仲間は皆無だった。生活費の足しになれば職種は何でもよかった。

 

以前の仕事や、役員や管理職だったことは脇に置き、働ければ職種やポジションにはこだわらずに働く必要があった。老生は、この状況を前向きにとらえ、現役時代も色んな職種、ポジションを経験したが、そのこと過去のことと切り捨てた。最初に選んだのはタクシーの運転手だ。20歳から40年間車の運転は経験、最もできそうな仕事と二種免許に挑戦、一発合格し、月8日勤務で65歳までタクシー運転手として、楽しく働いた。偶々、務めた会社は事故率などを勘案、全員65歳で雇止めだった。この方針は十分理解できたので他の会社に移ることもせず、運転手は廃業。次は、葬祭場の駐車場整理の仕事6年間寒さ、暑さに負けずに72歳まで働いた。現在は、仕事とは縁を切り、専らお絵かきに没頭する毎日だ。楽しい定年後人生を送れたと秘かに誇っている。