水戸市東原に、旧制水戸高校がありました!

先日保和苑にあじさいを見に行ったとき、敷地の一角に俳句界では著名な金子兜太(とうた)の歌碑を見つけました。金子先生と水戸の関係は、旧制水戸高校の出身者でした。


旧制高校は、旧制中学と帝国大学の間に位置する学校で、全国からエリート候補が集まり、全寮制で学んでいました。全国的には、第一高校から第八高校までできて、その後は、地名を冠した高校が大きな都市を中心に設立されました。水戸高校は、水戸市と宇都宮市との熾烈な誘致競争の結果、北関東で唯一の高等学校として1920年に設立されました。


校風は蛮カラで、その気風のまま卒業して、多くは東京帝大や京都帝大に進学、その後政財界を中心に歴史に名を残す数多の卒業生を輩出しました。

政界では、後藤田正晴先生、赤城宗徳先生、葉梨信行先生、丹羽喬四郎先生、水田三喜男先生、宇都宮徳馬先生等、茨城県知事は、岩上二郎先生、竹内藤男先生、財界では三井不動産の江戸英雄氏、文化人では、俳句の金子兜太氏、作家は舟橋聖一氏がおります。


戦後の学制改革で、1950年に旧制高校は廃止され、新制大学へ移行されました。

旧制水戸高校があった場所は水戸市東原で、その後国立水戸病院敷地になり、現在は北水会水戸病院、スイコウスクエアとなっております。

(ふるさと通信員より)


幹事長室の当番でご一緒した時に沖縄の西銘恒三郎 幹事長代理が、私の父は旧制水戸高校卒業で、その関係の同窓会等の会合については、誰にも任せないで自分で予定を入れていた。余程 旧制水戸高校に愛着を持っていたんだろうと、話してくれました。

因みに、父上の西銘順治氏は那覇市長から沖縄県知事、衆議院議員・経済企画政務次官等を務めています。沖縄中学校から旧制水戸高校に来たのだから、その名声は全国に響いていたということだと思います。

これも地域の誇るべき歴史です。