最近、環境問題について注目を浴びるグレタさん。
あの年であれだけ発言でき、行動できるところには感嘆するところがある。
けれど一方で、彼女の服装、靴、髪を結っているゴムなど見てしまうと、少し残念に思うのは私だけだろうか。
化石燃料を今すぐ禁止を訴えるのであれば、服も靴も結い具も、化石燃料を使わずに作られたものを使ってほしいと思うのは。
ただ、これはグレタさんに限った話ではない。
例えば、海外の貧困に目を向けたときに、チョコレートの原料であるカカオ、このカカオを採取するのは大人ではなく、日本では小学生ほどの子供が行っている。チョコレートの需要が高ければ高いほどにカカオは必要になり、カカオを採取する子供らにはもっと働かされることになる。その事には目を伏せて、バレンタインのときには一斉にチョコレートが用意され、街は賑わいをみせる。報道関係者も知ってはいるものの水を指すことはなく(報道規制することなく)、アナウンサーやコメンテータに「もう誰かにあげましたか?」なんて話す姿が公共放送にのせられ、自然と目にはいってくる。報道者はこうしたときには目を伏せているにも関わらず、チャリティーボランティアで寄付を願う。なんて一貫性のない行動なのか。
これが今の世の中なのだろうか。
こうした世の中にあってはガンジーのように非暴力・不服従運動を行うような本当の運動家は異端者として報道されないのだろう。