近代史ー大航海時代から幕末①

 

大航海時代

(地理上の発見の背景)

15世紀末から16世紀は大航海の時代で、ヨーロッパ人がアジアや新大陸に進出していった。その歴史的背景について述べたい。

 14世紀から16世紀にかけてイタリアのフィレンツェなどから始まったルネサンス(再生・文芸復興)はヨーロッパ全域に広がった。ルネサンスとはギリシアやローマの古典文化を研究し、人間中心の文化や芸術を創造した(ヒューマニズム)である。

 イタリアでは美術や芸術分野でレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、文学ではダンテ、ペトラルカなどが活躍した。

ネーデルラントではエラスムス、イギリスではシェークスピア、トマス・モア、スペインではセルバンテス、フランスではモンテーニュ、ラブレー、ポーランドでは地動説を唱えたコペルニクスなどが知られている。

 また、この頃にはルターやカルヴァンによる宗教改革が行われて従来のローマ・カトリック教(旧教)に対して新教(プロスタント)が生まれた。

 カトリック教会はアジアや新大陸にキリスト教を布教して勢力挽回をはかろうとした。日本にも1549フランシスコ・ザビエルによってキリスト教を伝えられた。

 ルネサンスの三大発明は羅針盤・活版印刷術・火薬である。活版印印刷術の発明により文学書や聖書が出版されてルネサンスは広まっていった。火薬の発明により大砲や鉄砲が製造されるようになると、戦術が変化した。騎士や騎兵中心の戦争から歩兵が主力となる近代的戦争のきっかけとなったのである。また、諸侯や騎士階級が没落して荘園制を基礎とした封建制が衰退して高価な火砲や火薬を保有できる経済力のある国王による中央集権体制に移行して絶対主義時代を迎える。

 羅針盤の発明、天文学、地理学の発達、地球球体説やトスカネリの地図作成など近代的な学問の発達したことで航海が容易になり、国王の援助でコロンブスなどの航海者が新大陸に進出することになった。

 

 経済的には、地理上の発見以前のヨーロッパとアジアの貿易は地中海貿易(東方貿易)であり、イタリア商人などによって香辛料・絹織物などアジアの商品は地中海などを経由してヨーロッパにもたらされていたが、オスマン帝国が地中海を支配すると、香辛料が高騰したので、スペイン・ポルトガルなどはヨーロッパ諸国は、直接インドに行く航路が模索した。胡椒など香辛料はヨーロッパには産せず、肉や魚の味付けや保存に不可欠であり、金と同等の価値があってヨーロッパではたくさんの需要があったのである。

 以上述べたようなことなどを背景としてヨーロッパ諸国のアジアや新大陸進出が始まった。

 

(ポルトガルとオランダの活動)

 ポルトガルは新大陸ではブラジルを領有し、東南アジア方面ではヴァスコ・ダ・ガマがボルトガル国王マヌエル1世の命で1497年リスボンを出発してアフリカ西岸を南下して喜望峰を回り、インドのカリカットに1498年に到着した。インド航路(東回り)を初めて開拓した。そのため、ボルトガルはゴアやマラッカ、モルッカ諸島などを拠点にアジアとの香辛料貿易を独占してを首都リスボンは世界的な香辛料貿易の中心地として繁栄した。しかし、17世紀初頭にはアジア貿易の主導権をオランダに奪われた。オランダは1602年ジャワのバタヴィアに東インド会社を設立して、ここを拠点に東南アジア、インド、そして日本(平戸から長崎の出島へ)に広がる巨大な貿易網を築いて、ボルトがルの香辛料貿易の拠点(マラッカ・モルッカ諸島)などを奪っていった。東インド会社は国家から貿易独占権を付与され多額の資本を保有してポルトガルより大規模な香辛料貿易が可能となったためである。首都アムステルダムは国際金融の中心地として繁栄した。オランダはスペインに支配されていたが、カトリック教国スペインにたいしてカルヴァン派の新教徒を中心に独立戦争(1568〜1648)を行なって独立して、強力な国家となった。また、北アメリカニューネーデルラント植民地を開発してその中心地ニューアムステルダムである。ここは後にイギリスに敗北(英蘭戦争)してニューヨークとなった。

 

(スペインの活動)

 16世紀、ボルトガルと同じころスペインが新大陸に進出した。トスカネリの地球球体説の影響を受けたイタリア人コロンブスはスベイン女王イサベルの命により、西まわりに航海すればインドに到達できると信じて、1492年大西洋を横断してサンサルドバル島に到着した。ここをインドと信じていたが、後の航海者によって、インドではなくてヨーロッパ人には知られていなかった新大陸であることがわかった。後に中南米を探検したアメリゴ・ヴェスブッチの名に因んでよりこの地は「アメリカ」と名付けられた。

 ボルトガル人のマゼランはスベインのカルロス1世王の命によって、1519年8月、五隻の船280人でセビリャを出港して西回りで香料諸島( モルッカ諸島 )を目指した。南アメリカを南下してマゼラン海峡を通過して100日を越える航海で太平洋を横断して、フィリピンで先住民と戦って戦死したがマゼラン部下、一隻18名がインド洋、アフリカ南部を通過して1522年スベイン本国にたどり着き、世界ではじめて世界周航を成功させた。これで地球球体説が実証された。 スベインはアジアではフィリピンを領有し、新大陸では1521年コルテスがメキシコのアステカ帝国を滅ぼし、1533年ピサロはインカ帝国を滅ぼして先住民を使役して銀の採掘をおこなった。銀は、本国にもたらされてスペインは「太陽の沈まない国」とよばれて繁栄した。大量の銀がヨーロッパにもたされて物価が上昇した。これを価格革命という。また東方貿易の中心地であった北イタリア諸都市は衰退してスペイン・ポルトガルなどの大西洋岸に商業の中心地が移った。これを商業革命という。