NHK大河ドラマ「光る君へ」のゆかりの地である京都の廬山寺と大津の石山寺を訪ねた、


 (廬山寺)


廬山寺は緑の多い広大な敷地の京都御所の近くある。

 市バスで府立医大病院前で下車するか、地下鉄で烏丸線丸太町駅から徒歩10分のところにある。

 紫式部の曽祖父である中納言藤原兼輔が建てた邸宅で、父親は藤原為時で下級貴族であったが花山天皇に漢学を教えた漢詩人歌人であった。

 廬山寺は紫式部は廬山寺で育ったと考えられている。20代後半に藤原宣孝と結婚したが3年後夫の死後この邸宅に住み続けて一人娘の賢子を育て、一生の大半を過ごしたとされる。

 源氏物語をはじめ、紫式部日記、紫式部集など多くの作品をここ廬山寺で執筆したとされている。

 結婚して3年して夫の死後、1002年ころからここで源氏物語を書き始めた。

 源氏物語が評判となりそれを聞いた藤原道長に召し出され、道長の娘(一条天皇の中宮彰子)の家庭教師として宮中に出入りするようになった後もここを離れず、道長の支援のもと長い年月を掛けて源氏物語を完成させた。


(中宮彰子に白氏文集を教える紫式部)


境内の源氏庭は白砂と苔を基調とし、専門家によって平安朝の趣を映した庭園が再現されたという。「源氏庭」である。

 諸説あるものの源氏物語に出てくる朝顔は現在の桔梗であるとされ、庭園の所々に植えられている。残念ながら桔梗は咲いていなかった。


本堂には源氏物語絵巻や紫式部日記(ともに国宝・複製)などか展示されでいる。


(石山寺)



石山寺は滋賀県大津市にあってJR石山駅からバスで石山山門前で下車してすぐのとこにある。

 石山寺の近くには大きな瀬田川が流れている。奈良時代から観音の聖地であり人々の信仰を集めていた。

その名のとおり、大きな石上に本堂や多宝塔が建てられている。

8世紀の初め、聖武天皇の時、良弁僧正によって建てられたという。本堂に安置されている本尊如意輪観音は秘仏で33年毎に開扉されている。

 

 平安時代貴族間特に女性の間で石山詣が盛んになり、紫式部はここで「源氏物語」の着想を得たといわれている。石山寺は「枕草子」や「蜻蛉日記」などにも書かれている。