(ホローコーストなどユダヤ人迫害)


 ナチス・ドイツはホロコーストを行なった。

ホロコーストは1933 年~1945 年にナチス・ドイツのヒトラー政権によってヨーロッパのユダヤ人約 600 万人に対する組織的な迫害および虐殺行為のことである。特に第二次世界大戦中の1940年から45年にかけてアウシュヴィッツには少なくとも130万人が移送され、そのうち110万人がガス室などで殺害された。

 ナチス・ドイツは反ユダヤ人主義者であり、ドイツの諸問題はユダヤ人のせいだとした。特に第一次世界大戦後のインフレーションなど経済混乱などの責任はユダヤ人にあるとした。

 ナチス・ドイツの場合は人種的反ユダヤ主義でドイツ人はアーリア人で優秀な民族であり、ユダヤ人は全ての人種の中で劣等な人種であると差別した。ユダヤ人はドイツ国民を腐敗させ堕落させるから排除すべきであるとした。

 反ユダヤ主義はナチス・ドイツに始まったわけではなく、古代にさかのぼることができる。ユダヤ教の選民思想・戒律主義を批判したイエスはユダヤ人に憎まれたのでイエスを殺したのはユダヤ人であるという思想が広まった。実際にはイエスはローマ帝国の命令で十字架の刑に処せられた。

 ユダヤ人は、このような反ユダヤ主義による偏見と差別に苦しんだ。

 ヨーロッパ社会では、キリスト教が主体でユダヤ人は少数派して孤立していった。ユダヤ人はキリストが神の子であるというキリスト教の信条を認めなかったため、キリスト教徒はこれを傲慢とみなしたのである。長いあいだ、キリスト教会はイエスの死はユダヤ人のせいであると教えてきたのである。

 宗教的な対立だけでなく、経済的な対立もおこった。統治者たちはユダヤ人が特定の職業に就くことや土地の所有を禁じた。そのため彼らの多くのユダヤ人は金融業を営んだ。キリスト教の原始教会は「高利貸し」を許可しなかったため、ユダヤ人は迫害された。十字軍の開始以降は衣服にも目印がつけられ、社会不安のはけ口として利用された。

 中世の14世紀にヨーロッパ全土でペスト(黒死病)が流行してヨーロッパの人口の3分の1が亡くなったが、このペストの原因はユダヤ人であると非難された。ユダヤ人が冒涜的で悪魔のように振る舞うので神が天罰を下したと考えられた。

 15世紀末のスペインでは、強制的にキリスト教に改宗させられて国に残るか、出国するか、さもなければ処刑された(1492年ユダヤ教徒追放令)。スペインを支配していたイスラム教国はユダヤ人に寛容であったがここのイスラム教徒を追放してキリスト教国のスペインが成立すると(レコンキスタ運動)ユダヤ人を迫害したのである。

 19世紀後半から20世紀初めにはロシア政府が「ポグロム」ー(ロシア語で破壊を意味する)と呼ばれるユダヤ人に対する集団的略奪、暴行、虐殺を行ない、彼らの家や店舗が破壊された。1905年の革命(第一革命ー日露戦争中にロシアのペテルブルクで民衆がデモ・ストを行なってソヴィエトを組織して国会などの開設した)では革命運動の弾圧にも利用され、1918年から21年の内戦期(ロシア革命に反対する国内の反革命派とアメリカや日本などが革命に干渉した戦争)にはウクライナなどで白軍(反革命軍)によって大規模にユダヤ人の迫害が行われた。

 ユダヤ人迫害の最大のものがヒトラーによるナチスのホローコーストである。これは前述したとおりである。