パレスチナ自治政府ガザとイスラエルの戦争が続いている。
一時、休戦によってお互いに捕虜の釈放などが行われていたが現在では再び戦争が再開されて多くの犠牲者が出ている。
この戦争にあたってまず、イスラエルのと自治政府ガザの歴史を見てみたい。
(イスラエルの歴史)
前1500年ごろセム系の遊牧民ヘブライ人(自分たちをイスラエル人と言った)はシリア南部のパレスティナ(カナーン)に侵入した。彼らの一部はエジプトに移住したが前13世紀にエジプトの迫害を受けたので、預言者モーゼに率いられて、エジプトを脱出する途中(出エジプト)紅海を渡ってシナイ山で神ヤハウェから「十戒」を授けられた。神が理想の地であると約束したカナーン(パレスティナ)を目前にモーゼは死ぬが、この苦難の歴史のから唯一神ヤハウェの信仰が生まれた。「十戒」はユダヤ教の律法の基礎となった。
十戒
①あなたはわたしのほかになにものをも神 としてはならない。
②あなたは自分のためだけに刻んだ像を造 ってはなならない。
③あなたは、あなたの神、主の名を、みだ りに唱えてはならない。
④安息日を覚えて、これを聖とせよ。主は 6日のうちに、天と地と海とそのなかの すべてのものを造って7日目に休まれた からである。
⑤あなたの父と母を敬え。
⑥あなたは殺してはならない。
⑦あなたは姦淫してはならない。
⑧あなたは盗んではならない。
⑨あなたは隣人について、偽証してはなら ない。
⑩あなたは隣人の家をむさぼってはならな い。
パレスティナに定住したヘブライ人は前11世紀ダヴィデ王(在位1000ごろ~前960ころ)のときイェルサレムに都を置いて統一国家を建国した。
彼の子ソロモン王(在位960ころ~前922ころ)の時、イエルサレムに豪華な神殿を建築した。
しかしソロモンの死後、北のイスラエル王国(下の地図のピンクの部分)と南のユダ王国(灰色の部分)に分裂した(前922ごろ)。
メソポタミア北部に起こったアッシリアが北部のイスラエル王国を滅ぼして(前722)、さらに周辺諸国を滅ぼじて前7世紀オリエントを統一した。
南のユダ王国はアッシリアの後、興った新バビロニアに滅ぼされた(前612)。新バビロニアのネブカドネザル2世(在位前604~前539)は多くのユダヤ人をバビロンに連れ去った。これをバビロン捕囚(前586~前538)という。この苦難の中でユダヤ人を救ってくれる神ヤハウェの信仰が深まった。新バビロニアがアケメネス朝ペルシアに滅ぼされると、ユダヤ人は解放されて帰国を許され、イエルサレムにヤハウェの神殿を再興した(ユダヤ教の確立)
上地図の説明 (地中海東岸の民族)チャート式 新世界史B)
赤い実線はヘブライ王国の最大領
アラム人ー拠点ダマスクス、内陸貿易に従事
フェニキア人ー拠点シドン・ティルス、地中海貿易に従事。フェニキア文字
はアルファベットの起源となる。
ヘブライ人ー(ユダヤ人。北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂)