ヴェルサイユ体制の成立)

   1次世界大戦後の19191月、連合国代表が集まりパリ講和会議が開かれた。会議の目的は国際協調主義と民族自決主義に基づく世界の恒久平和を確立することであり、その基本方針は19181月、アメリカ大統領ウィルソンが発表した「14か条の原則」であった。

これは以下の14条であった。

1、秘密外交の禁止 2、海洋の自由 3、関税障壁の廃止 4、軍備縮小

5、民族自決 6、ロシアの完全独立と領土からの撤兵 7、ベルギーの回復 8、アルザス・ロレーヌの回復 9、イタリア北部国境の修正 

10、オーストリア・ハンガリーの民族自治 

11、バルカン諸国の回復 

12、オスマン帝国支配下の民族の自治

13、ポーランドの独立と海洋の出口保障 

14、国際的平和機構(国際連盟)の設立。

 

 これらのうち、国際連盟の設立などは採用されたがフランスが対ドイツ強硬策やドイツに対する安全保障などを主張してウィルソンと対立した。イギリスが調停に回ったが十分な効果をあげることができなかった。

 

 19196月、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿でドイツと連合国の間にヴェルサイユ条約が締結された。この条約など一連の講和条約に基づく国際的な戦後体制をヴェルサイユ体制という。

 この体制は敗戦国ドイツの脅威を防ぎ、反ソ、反共、植民地の現状維持、各国の議会主義を進めようとすることであった。

 この体制を維持するのに国際連盟が大きな役割を果たした。しかし、世界恐慌の発生やヒトラーのナチス政権の成立によってこの体制は崩壊した。





 (アカデミア 世界史 浜島書店)


ヴェルサイユ条約は連合国とドイツの条約だったっが、ドイツの会議参加は認めらず、ドイツにとって過酷な内容となり、ドイツは連合国の決定に従わざるを得なかった。

そのため国際協調主義とはほど遠い内容となった。

ヴェルサイユ条約(対ドイツ)の一部をあげると

 

①ドイツはアルザス・ロレーヌをフランスに割譲する(アルザス・ロレーヌはフランス領だったが1870年から71年の普仏戦争でドイツ領となっていた)


  ②軍備縮小

 徴兵制度を廃止して陸軍10万、海軍15000、艦艇35隻と制限し、軍用飛行機や潜水艦の保有を禁止。


  ③ライン右岸(ラインラント)50kmの武装禁止(左岸は連合国が15年間占領)

  

 ④ドイツは賠償金を支払う→1921年、ロンドン会議で1320億金マルクと正式に決定したが、この巨額の賠償金はドイツ経済を混乱させて、のちヒトラーは支払いを停止した。


 ⑤ドイツは全ての海外植民地を 失い、多くの国内領土や人口を失った。


 ⑥ドイツはポーランドへポーランド回廊(東プロイセンとドイツ本土の中間地帯。新興国ポーランド領となった)シュレジェンの一部を割譲

 

 ⑦ザール地方は国際連盟が管理する。15年後、どこに帰属するかを住民投票で決める(19351月、住民投票により支持率91%でドイツに帰属した)

 

一方、オーストリアは連合国とサン=ジェルマン条約を結んだ。その内容は


①オーストリア=ハンガリー帝国(1866年プロイセン=オーストリア戦争でオーストリアは敗北してハンガリーとオーストリア=ハンガリー二重帝国を建国していた)は解体してオーストリア・ハンガリー・チェコスロヴァキアの3共和国に分離する。


②セルビア・モンテネグロなどはセルブ=クロアート=スローヴェン王国(のちユーゴスロヴィア王国と改名)を建国する。


③オーストリアはイタリアに南チロル・イストリア・トリエステを割譲する(イタリアはオーストリアからこれらの 「未回収のイタリア」を回復した)


④オーストリアは今後、ドイツと合併しない。

 

 そのほか連合国はブルガリアとヌイイ条約(トラキアをギリシアへ割譲など)、ハンガリーとトリアノン条約(オーストリアから分離して独立など)、オスマン帝 国とはセーブル条約(オスマン帝国=トルコはバルカン半島のほとんどの領土をギリシアなどに奪われた。また、シリアはフランスの、イラクとパレスチナはイギリスの委任統治領となり、キプロス島はイギリスが併合した。その結果、オスマン帝国は領土は縮小されて小アジアのみとなった。またオスマン帝国(トルコ)の財政はイギリス・フランス・イタリアが管理することになった)



 (アカデミア世界史 浜島書店)


(国際連盟の成立)

19201月国際連盟が組織された。これは恒久的な国際的平和機関でアメリカの大統領ウィルソンの14か条に基づいて組織され、本部はスイスのジュネーブにあった。

  常任理事国はイギリス・アメリカ・日本・イタリアの4か国であり連盟の内容は各国の軍備制限、領土保全、国際法の確立、植民地の委任統治などであった。そのほか国際司法裁判所の設置、国際労働機構などが組織された。

  しかし連盟の問題点として経済制裁、アメリカの不参加、最初はドイツ・ソ連に加盟を許さなれなかったことである(ドイツは1926年、ソ連は1936年に加盟)

  やがてドイツ・日本が脱退して第2次世界大戦が引き起こすことになる。