先日、熊について書いた、そしてつくづく思った。
今も昔も、食料を求めて移動するのだと。
列島の文明は、九州の北部から始まったと思った。
しかし、神武の東征の出発点は、宮崎.....?。
九州北部から南下したのかとも思った。
そこで、日本人のルーツを辿る。
遺伝子から三つ、そして北から北海道(礼文島に遺跡)に渡来、朝鮮半島より(九州北部)、中国大陸南方、東南アジア、南から渡来、(九州南部)。
三つのどれが最古か、解明されてないとのこと。
そして、起源はアフリカ。
何世代に渡って、気の遠くなる年月を経て渡来。
縄文人も、弥生人も三ルート、ここで文明起源となると、九州に絞ることが出来る。
おおまかではあるが、神話に基づいた、遺跡と記録。
しかし、神武大王は宮崎から湧いて出て来た、そんな訳がない。
ルーツは、朝鮮半島か中国大陸南方に絞られる(一説にシルクロードを渡って来たユダヤ人の説?と殷周の周人、殷の王子箕子朝鮮の子孫等)。
かなり穿って列島北より宮崎(極めて薄い線)。
そこで紀元前3000年までの縄文人をおってみると。
列島の人口を遺跡、骨、遺物より推定して最盛期26万人とありネットより調査結果、そしておおまかに、関ヶ原あたり?で南と北で比べると比率が北25に対して南が1という、偏った分布になると。
理由は、ストレートに狩猟生活によるとのこと、特に九州は、火山活動で火山灰により、土地が痩せていて植物の生育が不良で採取しての生活に不向きで、獲物が少ない。
かろうじて、沖縄において魚と熱帯植物の採取(遺跡跡より)。
寒期が度々訪れ、気温の低下により北部でも、凍死の為減少(今でもホームレスの死亡があるように、縄文人はほとんどホームレス生活、洞窟でなく外で衣食住もいたと思われる。
弥生時代にはいって、農耕(稲作等)の技術の伝来と共に、渡来して来た移民により、爆発的に人口が増える。
神武東征と謳われる時代には百万人近いと推定、大半が大陸より渡来したものと思われ。現在、在日がどうのと言ってはいるが。
この時代、総人口の九割在日と言えるのでは。
そして、純然たる列島人と言える縄文人を隷属化してるといえる。
顔の形と皮膚の色で、縄文人か弥生人か解る(何世代に渡って血統が混ざりあっているので、純粋な縄文人の子孫等皆無、縄文より、弥生よりと傾向的なもの)。
最初、神武大王は何人なのか、追求するつもりが、調べれば、調べるほど分からなくなる。
ストレートに解釈すると、宮崎から推定して、中国大陸南方渡来が有力に思える。
大陸から台湾へそして沖縄、琉球諸島を経由して鹿児島を避けて宮崎が妥当な線なのか?
そして東征の理由が人口増加による深刻な食料不足と考えられる。
シラス台地の痩せた土地での生産性を考えるとかなり信憑性が高いと思う。
この時代、食料の多くとれる土地を奪い合うということでしか生きてゆけない、生産が人口増加に追い付かない為、侵略することでしか生きて行けない。
豊穣な土地に移住することが死活問題になる。
人口増加に伴い、侵略しても食料不足を解消出来ないほど増加し続けた故に小国家が形成されたのではと思う。
深刻な人口増加、それが神武東征の真相なのでは?
そして南北が西東に変わってゆく。
現在の熊事情は、熊が生き残りをかけた山下りなのか?
過去も今も食料の為に移動するのは、人も熊も変わらないということか?