清和源氏の台頭、経基が築いた礎を確固なものとしたのが、子の満仲で経基が皇族から臣籍降下した地方官僚なら、当初武家の棟梁には、程遠く将門の子を名乗る者不逞の輩を取り締る検非違使の役人として記録にのこっている、そして同じ臣籍降下の関係コネなのか、醍醐源氏の堂上源氏の源高明に近侍しつつも、藤原兼家にも接触したりと間者みたいな行動をとる、そして安和の変で皇太子廃立の陰謀があると源高明を密告して失脚させている。

藤原兼家に調略され裏切ったのか、大河ドラマ光る君でもお馴染みの摂関政治の権力者そして、この後兼家に臣従して、花山天皇の出家を兼家次男道兼の手足となって子の頼信とともに、加勢する。

次回頼信に触れるので、満仲について。

当初は、検非違使として将門の子をはじめ不逞の輩を取り締るとともに、武装集団を形成し摂関家と繋がるとともに、国司を歴任し等級も中国から上国へ摂津国に土着して荘園経営に着手して実績をのこす。

推測の域をでないが、若年時経基と同行した経験が生きたのでは?

兼家に臣従するのも、少なくとも30代、そして花山天皇の出家も60代ほとんど頼信が中心では?

そして、晩年を摂津国の多田の荘で迎える。

経基、満仲親子に共通点あるとしたら、こじつけがましいが、人生の岐路に二つのイベント承平、天慶の乱であったり、安和の変と花山天皇出家であったりと、これなしで清和源氏の台頭はあり得ない。

次回満仲の子、頼光と頼信

乱文乱筆、走り書き、ご容赦下さい