昨日の中国のインフルエンザ、果たしてどうなんだろう。最近の中国事情を検索した。

すると、0人は嘘ではなく本当のことで中国政府は、インフルエンザなど伝染病には最悪、戒厳令(戦時中の非常時に軍隊が行政、司法の権限を一時的に持つ)をもって臨むくらいの強硬姿勢で対処しているという。

これは政府が2003年のサアーズ問題での対応のまずさで全国規模でパニックになり民衆が暴徒と化し政権を揺るがすほどの恐怖を体験した為だと言うのがネット検索の結果。

それで中国政府はインフルエンザには過敏な対応をするという。

感染の疑いのある人間は本人ばかりでなく、接触した確率の高い者をことごとく隔離するそうだ。

サアーズの経験で人口密度が高く世界一の人口を誇る中国では感染者が発見されてからでは手遅れの可能性

が高い、人口密度が高いのであっとい間に蔓延してしまう。その前に一機に隔離してしまう。

その強制的な理不尽とも思える隔離で0人の成果を挙げている。

日本で同じ行為を行うと人権侵害だと反感をかってしまう。

でも本気で病気を防ごうと必死になったら、中国のように強制的措置を取ることも、あながち間違いではないように思えてくる。

段々就職に対して、いろんなことを模索してしまう。アルバイト、パート、深夜勤務、専門学校、他県に移動など

、贅沢できない状況に追い込まれていく。

とにかく当座をしのぐそんな考えに変わりつつある。

アメーバブログの総合ジャンルを覗いてみた、世の中いろんな人がいる(当たり前だけど)と本当に実感した、

めまぐるしく、渡り歩いたのでベタを忘れてしまった。

そこには自分の想いもよらない世界があった、共感できないものも多々あったしかし何故か批判、中傷する資格

など全くないと実感した、ただし批評、評価する自由はあるとも思った。自分には自分という名のものさし(定規)が存在する。常にそのものさしで人を量っている。(他人を無視するのも人を量る一つの手段、打算なきも打算の同意語)。

あるブログできらいな人に、稼げない男とあった(稼げない女は?)、確かに今の自分は情けないと思った。

それと反対に稼いでいる男は?中国の言葉に人並み以上苦労をした人間が始めて人の上に立てる。

ただあえて反論するなら、一過性の栄達も含まれるのか?後で自然消滅なら稼げない男と同じとも。

そんなことを書く人もブログの細部をみると、苦労話が存在する。

そして、それなりの経験を通して書かれたものと感じると・・・・認めるしかない(受容できないが)。

それに前にも書いたように、ブログを観たくないならウィンドを閉じればいいその自由は存在する。

話しは戻って。

中国人と日本人の違いを批評する。中国人のブログを観た。

その差はやはり、侵略された歴史とそうでない歴史、日本には侵略される前の中国の文化が現存していると。

そのブログを読んで、気ずいたこと、中国では皇帝を倒して皇帝になること、簒奪することは当然のことで

力があったら可能なこと。(誰もが認めること)。

でも日本は天皇は確かに殺害されたことはある。確か簒奪もある(ただし天皇家の血筋、血族)。

だが一介の臣下が、天皇を殺害してその地位を奪ったそんな歴史が一つもない、唯一つ未遂に終わっている

織田信長を除いて(皇室の存在を一切認めず、いずれは廃止して、自ら日本国王を名乗ろうとした形跡がある。

例、皇室にある、希少価値の ランジャコウを所望して下賜されると惜しみもなく人に与えた。)。

日本史上、天皇を殺して自ら王となった人物がいない。

中国になくて日本にあるもの侵しがたい聖域が存在したということ。

世界史上でも稀有な事実らしい。

現在の生活にとってこんなことは、どうでも好いことに思える。

でも何だか歴史が気になる。