ブログネタ:あなたの「負けたくない」ことって?
参加中本文はここから
勝つのは、誰だ。勝利とは、何だ。
(失敗したぁー消してしまった)はあーどうして失敗するのか、演歌のテーマでは誤字が目立った。)
最近、走り始めた、かなり体力が落ちてるのを痛感する、たいして走ってないのに歩こうとする、苦しい
無理をして走って、肉離れや炎症を心配するが、何とか走る日々適度の苦しみを克服することで日々の怠惰
をごまかしている、自己満足に過ぎないのかも、まだそんなに年寄りでもないのに、昔は昔はそんな言い訳をしている、過去の自分に決別して新たな自己を創造形成してゆかなくてわならない、弱く妥協しそうになる自分に勝ちたい、孫子の兵法に敵を知らなくても、己を知って、いさえすれば負けることはない(自分の圧倒的弱さもしくは、圧倒的に勝っていることを知っているなら愚かな戦いはしない)。つまり不戦の勝ちということ(戦わずして勝つことが最上の勝利)。未だに自分とは何かと問われても答えられない?存在意義?(哲学的)。
夕日を見るのが好きな人間とか、ペットを愛する人間、花を好む人間、職業をいう人間、ラーメン屋、医者、サラリーマン(いえるかなぁ)と堂々といえる人間 やはり己を知っているといえるのかもそんな人は
癌患者が病を克服するのを賞賛する声もあるが、絶対それは嫌だ個人的には賞賛できない、精神力の強さは認めるが、病など克服したくない、そんな病気など罹りたくもない(当たり前か、常識だよ)。癌なら告知して欲しいが
落ちがある、泣き喚いて、告知した人間を罵るだろう、そして看護の人にも悪態をつくだろうな(100%甘えだろうと思う。)、一日中、狂人の様にわめいているでも告知して欲しいと思う、しつこいが罹りたくないが。
何を言いたいのかというと、自己に打ち勝てず、人生を達観など到底出来ないということ。
病気に勝つというなら、貧乏も心の病だという、どんなにお金持ちでも足りない足りないとお金を渇望する人間は、
貧乏なのだそうだ、貧乏は物質的、精神的に渇望する病でお金がないと考えること自体貧乏の始まりで、実際は
全くないわけではない、なんらかの収入で暮らしているから、心や物を渇望しないのが真の豊かさであり真の富豪
なのかも、貧乏を克服する為に必ずしも金持ちにならなければならないというわけではない、克服する、選択肢の一つであることは間違いないが。
一般論ばかりで、いかにして自己に打ち勝ち、心や物の障害から克服できるという解決策は、何一つ見つかっていない。釈迦の当たり前に生きるが答えといえばあまりにも非情だと思う。心理学の自ら牢屋の鍵を持ってるのに
出してくれと喚き散らす囚人みたいだ。周りの人間から見ればこれほど滑稽な話もないのだが本人からみれば
深刻極まりない、自殺する人は概して鍵を使って外に出ることを拒むからそうなるのか?
自分も牢屋にいるのかも、それなら鍵は、懐、ポケット、首にかかっているのか気ずぅことが出来ない。
