特殊な才能を持った子供のことを最近はこう呼びます。

 

ある方面だけ突出した才能を持つ代わりに、その他の部分が劣っていて社会生活が難しい子供。

 

将棋の羽生善治や藤井壮太なんかが良い例で、将棋だけは天才だけどコミュニケーション能力が完全に欠如しちゃってる。

ビルゲイツやアインシュタインなんかもそうだったらしい。

 

まだこの言葉が日本に入ってくるか来ないかの頃、

「うちの子ギフテッドなんです」

と言ってきた親がいて「なにそれ?」と思ったもんです。

 

自分の子供がギフテッドだと思いたい(つうかそうであってほしいと願う)親がいるようです。

 

その特殊能力を伸ばす土壌があるならば、例えば将棋さえできてれば将来困らない(あとは許される)環境があるならば、他を捨ててそれに特化した育て方をすれば良いかもしれない。

 

ただ、挫折したり引退したとき他につぶしがきかない人生になるデメリットも承知しておかなければなりません。

 

あるいはその特殊能力が何の価値もないものだったり伸ばす土壌が存在しないものだったら、そこは諦め捨てて他を伸ばして社会生活が送れるように育てるしかなく「ギフテッドだから」という言葉に逃げていてはならない場合もある。

 

女性のバストサイズを当てられる特殊能力を僕は持ってますが、ギフテッドだからと他を捨ててそんな能力ばかり伸ばしても、それは何の役にも立たないわけで。