立花氏と石丸氏の食い違い | tadahiのブログ

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立花氏と石丸氏の食い違い

 

 立花氏と石丸氏がネットで対談しています。ここでも話が噛み合わなかったようです。多分、立花氏が石丸氏を批判していることを知っていて、石丸氏は、得意のミラー反応として敵対的となり、まともに答えないことにしたのだと思います。

 立花氏は、石丸氏の2つの裁判について聞いています。2つの裁判に負けていることで、何か弁明ははないかと問うと、自分には非がないから認めないという返答が返ってきます。立花氏は「裁判で負けたらごめんなさいをする人と、裁判所が悪いって言う人で大きく違うと私は思いますよ」と返しますが、石丸氏は、裁判結果がどうあっても、自分は正しいと思うから押し通すと突っぱねます。つまり、裁判よりも自分が正しいとの意見は曲げる気がないことを告げています。立花氏は、「これは日本の司法がそう言ってるのに、司法なんて関係ないよとかって言う行政の長とかが出てくるのは恐ろしいという、そういう意見です。それだけです。それ以上でもそれ以下でもないです」と話し、質問を終えています。この話に、石丸氏を支持する人は、「僕は立花さんの言うことを聞いておいたほうがよかったなぁと個人的には思った。でも石丸さんは自我が強いし自分が正しいと思ったこと(実際は正しい)はゆずらない」とコメントしています。自我の強さと法令の遵守、理解は別なものだと思います。この態度は、法を理解するというよりも、理解しようとしていない、拒否の状態です。法での間違いを理解する気もないということです。裁判で敗訴とは、日本では、このやり方は認められていませんと判断されたということであり、「あなたに非があります」と判断されたということであり、これを受け入れないということは、法治国家日本を受け入れないということになります。法と石丸さんとは隔絶しているということになり、異世界の人と同じということになってしまいます。

「裁判結果に従うことと、自分が正しいと思い続けることは違う。裁判結果に従っていれば、自分が正しく、裁判が間違っていると思い続けることは悪くない」と考える人がいます。石丸氏が個人として、自分の方が法よりも正しいと思い続けることはいいと思います。極端に言えば、殺人も法の裁きを受ける覚悟で行うのであれば、それは止めることはできませんし、裁きは個人の範囲に限定されます。しかし、行政が「司法以外で法に従って国を納めること」である限り、法よりも自分が正しいと考える人が行政を執行する側になっては、周囲を脱法行為に巻き込む危険があり、その影響は個人を超えることになります。法よりも自分の考えが正しいと思いう人は、個人で法に逆らうか、法を自分の考えに変えるような努力が必要です。このような考えの知事が行政を行えば職員だけでなく、市民も巻き込むことになりますし、知事の力では、法改正はできません。石丸氏は、少なくとも2回の間違いを犯しています。それが今回の裁判であり、敗訴にもかかわらず自説を曲げないというのであれば、これからも同じような間違いを続けるということであり、被害が拡大し続けるということになります。つまり、前科がある状態で、反省がないということです。普通、行政を行う側にこれからもいたいと考えるのであれば、少なくとも法に認められないような行為があったと断定されたのですから、謝罪し、反省の意を示し、2度と間違わないとの誠意を示す必要があるでしょう。それを否定するということは「こいつ、またやらかすな」と思われても仕方がないと思います。また、「自分が正しく、裁判が間違っていると思い続けることは悪くない」という考えは、老害と言われる老人に当てはまる考えだと思います。老害と言われる人は、周囲の迷惑を考えず、自分のやりたいこと、自分が正しいと思うことを押し通すひとであり、それは、自分の方が法律よりも正しいと思い続けた結果、社会の常識から外れていったためではないかと思います。社会の常識(例えば、裁判で負けたことを認めること)と違っているときに、修正ししていかないと、いずれ常識さえわからなくなるのではないかと思います。

立花氏が指摘するように、法よりも自分が正しいとの自論を曲げず、法を無視する人は、法に従わないとならない行政に携わるべきではありません。多くの人を不幸にします。今まで石丸氏は、その手法、性格から行政の長に向いていると言われていたようです。しかし、この件から、行政の長になるには、決定的な欠点があり、向いていないことが分かります。むしろ、国会議員となり、自分の信じるように法改正を行うような方向に進むべきだと思います。しかし、国会議員となると、石丸氏の得意とする上意下達的手法はできなくなり、下から少しづつ上がっていくサラリーマンのような政治手法が要求されるようです。特に新人議員の発言は、ほとんど相手にされないようです。行政の長は大きなリスクを抱え、国会議員は、特色を発揮できない。前途多難だと思います。今後はどんな手法で何をやってくれるのでしょうか。