挨拶しない自由・挨拶しない人 2 | tadahiのブログ

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月々さんの投稿から 2

③そもそも道徳や礼儀とは内発的なものであって外発的なものではない。つまり、内側から自発的に湧き出てくる気持ちがカタチとなって現れるものが道徳や礼儀。誰かから押し付けられて行うものは道徳でも礼儀でもなんでもない。そこが道徳と宗教の違いでもあると思う。

私論: 行動を起こすきっかけとしての、内発的という考えは、表面的な認識です。道徳、礼儀は、社会生活の中で培われていくものであり、食欲などと違った外発的なものと考えるべきだと思います。内発的なものは、教育しなくても生き物として持って生まれたものだけだと思います。従って、道徳や礼儀は生まれてきた環境で生じるものであり、その環境には、習慣、風習、人間関係などが大きく関わってきます。そもそも、礼儀や道徳などは、所属する社会で生まれるものであり、コミュニティーの一員の証のようなものだと思います。同じ習慣、動作をすることで所属意識が生まれ、仲間として認識されていくのだと思います。これは、社会生活を行う上で必要なことであり。社会生活を主体とするヒトにとって不可欠な要素となると考えます。

 

④人によって「挨拶する/しない」の判断基準も違う。たとえば、他の部署の人やさっきすれ違ったばかりの人に挨拶すべきか?ぼくは以前上司に入退室ごとに挨拶しろと怒られたことがある。その上司にとってはぼくは「挨拶しない人」という部類だったのだろうが、ぼくは自身を挨拶する人だと思ってた。人によって挨拶の判断基準がバラついてるのに、「オレの基準が正しい!」という態度で上司が部下に挨拶を強要するのは間違ってると思う。言うまでもなく、次の世代を作っていくのは若者。若者が「この状況、べつに挨拶しなくてよくね?」と判断したのならば、上司はそれにとやかく言わなくてもいいんじゃないか。常識なんて変わっていくものなんだし。

「若者が常識を変えていく」という発言単体は確かに良くないものだったと思います。ただ、その発言に至った経緯はちゃんとあります。(以下は取材中に部分的にしか語らなかった事実です。)前の会社では、部屋に入る度に部屋全体に向けて挨拶するルールになっていました。入社当初、そのルールは聞かされていましたが、えらい立場の者はそのルールを守っていないことがありました。それを見た私は「まあ上司もルールを半分しか守っていないのだし、トイレに行って戻ってくる時など部屋の出入りを頻繁に行う時は挨拶しなくてもいいだろう…」という考えを持ってしまいました。その結果、トイレから戻ってきた時に私が挨拶していないことに気付いた上司は激怒しました。そのような体験をもとに、確かに社内ルールを守らなかった私に非があるとは言え、立場の高い人は多目に見られるという風土は如何なものかと思い、先の発言に至りました。仮に私が挨拶したくない人だったとしても、「仕事できなさそうなチー牛だ」という容姿に基づく誹謗中傷や「挨拶できるだけで評価されるのにしない理由は無い」という個人の損得勘定に基づく挨拶必要論、「こんな奴と一緒に仕事をしたくない」という感情論しか出てこないことが何よりも悲しいです。挨拶がなぜ必要なのかを論理的に説明できる人がいるでしょうか。一見、毎朝、毎晩、事ある毎に定型文を呪文のように唱えることは非効率です。子供に「毎日会う相手に挨拶する意味なんて無いじゃん」と言われたらどう答えますか。常識だから、マナーだから、ルールだからは理由になっていません。挨拶しない人に対して誹謗中傷する皆さんは、「常識だから」レベルの感情論しか出せていません。これが何よりも悲しいです。

 私論:挨拶は、帰属意識の確認であり、コミュニティーの一員であるという証です。毎日行うことは、日々の変化を確認するためであり、ある意味、危機管理の一つとも捉えることができます。「挨拶しない自由」と発言しただけで、多くの非難が寄せられています。常識、マナー、ルールだからという理由が理解できないようですが、コミュニティーの一員という帰属意識の表明が挨拶であり、それが常識であり、マナーであり、ルールだということを理解する必要があるでしょう。「私は仲間だよ、仲良くしようね」という挨拶をしないということは、「私は危害を加えるよ」と言っていることになり、周囲は排斥、攻撃するでしょう。それが、「仕事できなさそうなチー牛だ」「挨拶できるだけで評価されるのにしない理由は無い」「こんな奴と一緒に仕事をしたくない」という言葉の真意です。

挨拶の細かい判断は、所属していた集団や家族に依存すると思います。会社の上司と月々さんの環境が違っているのは当たり前であり、挨拶の判断も違ってくると思います。違った集団から集まった個体は、少しずつ異なった道徳、礼儀を持っています。群れの中では、帰属意識を高め、集団としての結束力を高めるため、これを統一しようとするでしょう。群れの長に新人が従うのは当然であり、それは群れを維持するために必要なことだと思います。    

個に憧れ、個を欲する人は意外と多いと思います。しかし、ヒトは、個を欲しても、社会という集団にいないと生きていけない生き物です。そこでは、個と集団のせめぎ合いが生じ、個々人がその線決めを行うことになります。集団の力が強く、個を圧迫すれば、個を大切に思う人は、その集団という会社から離脱することになります。つまり、人間関係で会社を辞めるということになります。月々さんは、この判断をしなければならないと思います。立場の高いヒトはルールを守らないことが不快だということですが、上司がルールを新人に押し付けるのは、ルールを守らせるためだけではありません。押し付けたルールを守るかどうかをみて、忠誠度を推しはかっているのだと思います。上司自らが守っていないルールなど、重要ではないということです。