「絶対に死ぬ」という状況に向かうことができるだろうか?
いや、そんな状況を想像できるだろうか?
1999年3月21日、能登半島沖不審船事件。
3月18日、二隻の北朝鮮工作船からの不審な電波を自衛隊が探知。
3月21日に自衛隊創設以来初の海上警備行動が発令され、米海軍、ロシア軍をも巻き込む大事件となった。
拉致された日本人が乗せられているかもしれない。
護衛艦みょうこうの航海長伊藤祐靖氏を指揮官として、不審船に突入、検査を行う決定が下る。
護衛艦には小銃と拳銃しかなく、隊員を防護する防弾チョッキは装備されていなかった。
何もない海の上、数少ない楽しみとして持ち込まれていた漫画雑誌を胴体に縛り付け防弾チョッキの代わりとし、決死の突入が行われようとしたが、不審船は増速して逃走し、状況終了となった。
不審船が止まって立入検査をする、となると、間違いなく隊員に死者が出る。
自爆すれば全員死亡もあり得る。
相手が抵抗すれば、殺すこともあり得る。
それでも行かねばならない時、隊員たちは戸惑う。
しかし、5分あまりで顔色が変わり、決意を固めたそうです。
指揮官だった伊藤氏は、そんな彼らの表情を無私無欲な清々しい美しい顔だったと述懐しています。
特攻隊員もこうして飛び立ったのかもしれない、と。
しかし、同時に、それはやってはいけないことなのではないか?
そう苦しんだそうです。
政治家も、国民も、命をかける瞬間があることを考えない日本で
誰かが必ず死ぬ、誰かを必ず殺す、そんな決断を想定しない日本で
逃げて逃げて、誰も口にしない日本で
どうしても守りたい何かを明確にしない日本で
命をかけて行け!…と言えるのか?
しかし、それでも行かねばならない人たちがいる…
国防の最前線で起こった「現実」を見た伊藤氏の証言は貴重です。
「国のために死ねるか」
「国」とは何か。
昔のアニメや漫画でよくあった「守るべきものとは?」というテーマは近年とんと見かけなくなりました。
そんな状況ははたして平和といえるのか。
外国からの攻撃だけでなく、それより遥かに多い自然災害の現場でも同様なことはある。
憲法議論、けっこうだ。
国防論議、けっこうだ。
賛成反対ギャーギャー言い合うのも、けっこうでしょう。
しかし
私たちは、誰かの命を捨てさせてまで、守られる価値のある存在なのだろうか??
イデオロギー云々以前に、伊藤氏の苦悩を知ることで、何を守るのか、日本とは何か、国家とは何か、を考えるヒントになるかもしれません。
明日は敗戦の日です。
戦後71年と言われますが、はたして「戦後」なのか?…ということも。