日本の平和と引換えのアメリカ依存 | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ



ボクは日本の核武装は必要ないと考えてますし、反対です。
しかし、核武装や国防について、その前提となる憲法について「議論しなくて良いこと」はないと考えます。
特定の問題をタブー化して議論しないことは思考停止を招き、他国に格好の隙を(軍事面だけでなく経済面でも)与えてしまうからです。


前回
日本は、「核兵器の非人道性」を明言しないことと引換えに、国際協調(アメリカに守ってもらうこと)をとりつけようとしているのです。
と書きました。

アメリカの「核の傘」とよく言われますがそれは本当に存在するのでしょうか?

核軍縮・拡散防止を訴えながら、その根拠になる「非人道性」を都合により明言しない安倍政権は、同時に、「核の傘」を前提に日米同盟を強化すべしとしています。

一方で、日米安保の破棄を謳い、平和主義を訴える社民党や共産党は、自主防衛も否定しています。(民主党~民進党は内部分裂していて中途半端です。)
非武装中立という現実離れした「理想」を前提に、日本に核攻撃を行ったアメリカが作った日本国憲法を護持すべしとしています。

これまた、クラクラするほどのネジレですね。

どちらも「核の傘」に甘えているのではないか…と思えるのです。

相互確証破壊

米ソが核兵器開発競争をし核戦争が危ぶまれた頃「相互確証破壊」の確認が核による抑止力を担保すると論じられました。

つまり、核保有国のどちらかが先制的に核兵器を用いた場合、もう片方は核兵器による報復攻撃を行い、相互に破壊し尽くすことになると確認することです。
そうならないように双方が核兵器を使うような戦争をしないように自制しあうこと。
抑止力を働かせるためには、先制攻撃を受けても必ず報復できるようにしなければいけませんから、政府中枢が破壊された時に備えて、ソ連では自動報復装置を備えたといいます。
アメリカは本土が攻撃された時に備えてB52に核兵器を搭載して常時攻撃可能空域を巡回していました。

ソ連の自動報復装置は地震や事故で誤作動を起こして核ミサイルが発射されてしまえば、攻撃の意志がないのにアメリカの報復を受け連鎖的に相互確証破壊が起きてしまう。
アメリカのB52は墜落事故を2度起こしてしまい、核汚染を引き起こしてこの作戦を中止しました。

米ソが直接戦争しない代わりに「代理戦争」が度々起き、その影響が現在まで続いています。

核兵器で平和を維持しようとするリスクは代替不可能なほど大きい。

ちなみに、相互確証破壊による核抑止力は日本には働きません。
いくら日米安保があると言っても、日本が三度目の核攻撃を…たとえば中国から…受けてもアメリカが核で報復すれば米中で核戦争が勃発します。
尖閣に中国軍が上陸した時、アメリカが守ってくれるのか怪しい現実があるのに、核兵器による相互確証破壊のリスクを負うわけもなく、日本は中国の自治区になる可能性のほうがはるかに高いと考えたほうがずっと合理的です。
そうなれば、アメリカの対応など現在の北朝鮮やロシアへの経済制裁程度になるでしょう。

アメリカの「核の傘」を念頭にした国防論は成り立たないと考えるべきと思います。


冷戦が終結し、核保有国が増えてしまったので、相互確証破壊の論理も成り立たなくなりました。
大規模戦争の代わりに終わりのないゲリラ戦やテロが新たな戦争の形となりました。
技術が進んで小型化された核兵器による自爆テロの恐怖が増大し、核セキュリティへのハッキングや、核施設へのドローンによる無人攻撃のリスク。さらに、世界同時不況で核兵器は持っているだけで多大な費用のかかる「お荷物」になっています。

核軍縮では、核保有国がバランスを保ちながら減らそうとしていますが、非核保有国からすれば勝手な話とはいえ、一度持ってしまった核兵器を少しでも減らすには仕方ないのだろうと思います。

そんな時代に、日本が核兵器を持つメリットなどあるんだろうか?

オフショア・バランシング

2016年の現在、各国の核兵器の捉え方は様々で、論じている論者によって考え方も様々です。

ドナルド・トランプ氏は日本の核武装容認を唱えています。
それ以前からケネス・ウォルツ氏、ジョン・ミアシャイマー氏、エマニュエル・トッド氏などは、東アジアにおいて中国や北朝鮮のような独裁国が核を持っている不均衡を解消しないと危険だと考え、上記のようなアメリカの核保有リスクを減らし、力を分散化する「オフショア・バランシング」を唱えていました。

同じく「オフショア・バランシング」を主張するクリストファー・レイン氏やケネス・ウォルツ氏は核武装含む自主防衛を(アメリカの国益のためにも)戦略的に支持すべきと論じます。
東アジアにおける中国の封じ込めを、日本を含む多極的なパワー・バランスに任せるべきとした上で、日米安保を破棄し、その後の独立した日本が大国として報復核抑止力を含む軍事力の獲得を手助けすべきと述べている。
同様にウォルツは、中国の軍事力増大を懸念し、日本がそれに対応しなければ中国が地域を支配し、さらに地域を越えた影響力を保有するであろうとし、経済的優位があっても通常戦力だけで
は核抑止力の代わりにはならないと述べ、日本の核抑止力保有に関するハードルも以前ほど高くないと述べている。

(海幹校戦略研~「オフショア・バランシング」の本質と今日的意義 …佐藤正博 http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/3-1/3-1-6.pdf

一方で
「知日派」と言われる知識人は日本の核武装含む自主防衛に反対し、あくまでアメリカが覇権国として日本を管理すべきと唱えます。
ジョセフ・ナイ氏は日本に関してこのように発言しているそうです。
「日本を今後も自主防衛能力を持てない状態に留めておくために、アメリカは日米同盟を維持する必要がある。日本がアメリカに依存し続ける仕組みを作れば、我々はそのことを利用して、日本を脅しつけてアメリカにとって有利な軍事的。経済的要求を呑ませることができる…」
(中野剛志著「日本防衛論-グローバル・リスクと国民の選択」より)

真逆の意見ですが、どちらも日本のためでなく、アメリカの国益が最優先で論じられているのはアタリマエのことです。

アメリカが日本より中国のほうがメリットがあると考えれば、中国に東アジアの地域覇権を任せることになるでしょうね。

「東西冷戦」思考からの脱却

冷戦が終わって27年。
アメリカもヨーロッパも中東も東アジアも状況が大きく変化しています。
冷戦構造を前提に維持された「日本の平和」観も終わっています。

日本がどうすべきか考える時に、アメリカに依存していては危険です。

議論すら必要ない、という考え方はあまりにも無責任なので論外ですが
経済政策であれ、憲法問題であれ、自主防衛・核武装論であれ、「日米同盟を堅持するため」「国際的要請にこたえるために」と外に口実を持っていくのでなく、日本の平和を私達の判断で構築し維持するにはどうすべきか、考え議論する必要があります。

核武装の必要はないと考えますが、沖縄の米軍基地撤退も含め、日米安保の考え方も変えていく必要があるでしょう。

・日本国民の自制心によって戦争を起こさないこと。
・アメリカの戦争に巻き込まれないこと。
・日本経済をアメリカの国益で左右させないこと。

これらを阻害しているのが日本国憲法+日米安保です。

自分のことは自分で守る。
リスクをとる引換えに、アメリカの対日戦略から開放される実をとる。

上記の論文”「オフショア・バランシング」の本質と今日的意義” でも結論は日米同盟の堅持を前提とした対米協力体制の強化です。
つまり、アメリカに「オフショア」させないように、アメリカから距離を置かれないように、アメリカの安全保障政策に協力しよう、ということ。
安倍政権はこちらです。

ボクは反米なんかじゃありませんが、これには疑問をもたざるを得ません。

アメリカが覇権を握り続けると前提した上で、冷戦構造がソ連から中東や中国に変わって続くという前提が現実にあり得るとは思えません。
さらに、対米従属と引換えに守ってもらう基本姿勢・・・。
これで良いんでしょうか?

簡単な選択ではありませんし、数年で実現できる話でもないでしょう。


日本の平和と引換えにアメリカへの依存を護持しても良いことはありません。
それは「奴隷の平和」と言います。

引き換えのネタにしてはいけないもの。
それは「日本」そのものです。


核武装の議論も、憲法を見直すことも、自主防衛の必要性を唱えることも、平和主義と矛盾しないと思っています。
これらを忌避したのでは、日本の平和も、国民の経済活動(日常生活)も守れないと思うし
核保有国の脅威をリアルに感じているアジアの非核保有国の支えにもなれないと思います。

アメリカの意志に従うしかないのなら、いてもいなくてもイイ国ってことですから。


アメリカがオフショア・バランシングに進みたいなら、それを有効活用して日本の自主性を取り戻しましょうよ。

シタタカにね。



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