イン・アウト・タメ | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

過日、山本寛さんがオススメしていたチェリビダッケ(ベルリン・フィル復帰公演)のブルックナー交響曲第7番を聴いて以来、特に大好きな第2楽章が頭の中でず~~~っと鳴っております。

鳴っているうちにチェリビダッケの音から最近よく聴いているカンブルランのに替わってきてるけど。

明日(今日)は、4~6月の経済成長率が発表されます。
4月に8%に上がった消費税が経済に与えた影響を示す最初のデータです。
すでに悪い兆候が出始めているので、良い結果が出ることはないでしょう。

3月までの駆け込み需要も期待したほどではありませんでした。
増税直後の消費の落ち込みは、懸念したほどでないとも言われました。
考えてみれば簡単な話だと思います。
長期デフレで積極的な消費・投資をしなくなった国民が大事な貯金を切り崩して駆け込みで買い物をするとは思えなかったからです。
住宅や車など大物を買ったのはそこそこ高所得で蓄えのある、普段は消費性向の低い一部の層だったのだと思います。

消費性向の高い、つまり生活必需品などで所得の殆どを使ってしまう大多数の層は、買い物を増やすことはなく、増税後もそれほど減らせもしなかったということだと思います。
…かく言うボクもその一人です。


そして、増税の影響は、ただでさえ買い控えていた人たち(投資を控えていた企業)の更なる節約によって経済全体に連鎖的な「縮小」を及ぼします。

消費税増税にはずっと反対してきました。今でも撤回して欲しいと願ってます。
去年の10月、増税が決定される時には、もし政治判断で避けられないならせめて財政出動を併行して悪影響を小さくして欲しかったんですが、それも叶いませんでした。

誰かがお金を使い買い物をしなければ、他の誰かの所得は生まれません。

唯一リスクを呑み込んでお金を使える政府が率先して節約しているわけですから、国民が使えるわけがありません。
経済はズルズルと奈落へ落ちていくように縮小し、生活文化を保つこともできなくなり、発展途上国のように外国に頼らないと生きていけなくなるのです。


なんだか暗い話ですが、明日の発表が予想されている通りで、政府が根拠の崩れた均衡財政や、インフレ時を前提にした(デフレ時には通用しない)新古典派経済学的な数々の政策を、思想面から改めなければ、暗~~~~い話が現実になっていくのではないか、と、強く強く懸念します。

要するに、どれだけ現実をまっすぐな目で観察できるか、という話です。



さて、アニメの話。
フレームを意識した動き
アニメの動きには基本的な法則があります。
伸び縮みがその一つです。
フレーム「イン」と「アウト」ではこれを上手く使うと気持ちよく動いてくれます。

人物が(メカでもエフェクトでも)フレームインして画面内に収まる動きを気持ちよく構成するにはどうしたら良いか?
特にシュッと「イン」してきて気持よく決まる動きにしたい時。
気持よくフレームアウトさせたい時。

「イン」の場合
*横からのフレームインを想定して説明します。
テレビを観ている人はおおむね画面の中央付近を観ています。
作り手は動きの設計を熟知しているのでフレームインして画面中央に収まるまでの動きが、ちゃんとつながってないと不安になります。
それで、(2kベースなら)4枚くらい使ってしまうことがあります。

これだと、「シュッ」じゃなくて「ぬるん」としたフレームインになってしまいます。
タイムシート上は(カラを入れて)0.3~4秒ほどで収まるのが目で見てわかるので、むしろ「早すぎない?」と心配になるんですが、実際には遅いんですよね。
ボクも失敗することがあります。

カット内容によりますが、一枚目をフレームギリギリに置いて、次の絵はもうフレーム中央付近に来てても大丈夫です。
2kべーすならカラを入れても5k後(約0.2秒後)にフレーム中央付近に来てることになります。
めっっちゃ早い。

5k後の2枚目で絵を止めてしまえば当然、不自然になります。
観てる人からすれば、突然現れたように見えます。

そうならないようにするには
2枚目の次に、ちょっと同じ方向に動いた「タメ」を付けてやれば、「シュッとインしてきた」ように見えます。

これをトリッキーに(現代なら、いわゆる今石的に)するならば、一枚目の絵の面積を少し大きく(縦長に)して目に入りやすくします。
2枚目は逆にちょっと横に細くしてやります。
で、3枚目で本来の形にして(必要なら)中割を1枚か2枚入れて4枚目の原画で収めてやれば十分に同じ形のものが「シュッとフレームイン」してスッと収まる印象になるのです。
(擬音ばっかだな)

目の錯覚を利用するんですよね。
アニメはほとんど目の錯覚でできてると言って良いと思います。
地味な日常の仕草であってもそうです。
たとえば、上体はゆっくり動いていても、手先は素早く前から後へ回って次の動きを準備する…てな原画が必要になると、フレームイン - アウトのやり方が応用できるわけですね。

「アウト」の場合
画面内から外へ出て行く動きです。
これを「シュッ」と(「シュッ」に拘ることはないんだけどねw )アウトさせたい時は、インと逆のことをやれば良いです。
フレームアウト直前にタメて面積を増やします。
面積を増やす、というのはタメた時に(人物なら)縮こまったポーズにするのでなく、腕や髪の毛、服などを利用して膨らませるのです。
そして次の絵では細いイメージにしてアウトさせれば「シュッ」と出て行ってくれます。

こう説明すると、エフェクト作画みたいだけど、基本はエフェクトだ、言って差し支えないでしょう。
アニメはね。

ボクはエフェクトは得意じゃないけど、時々挑戦します。
そうすると、アニメの原点を体験するようで楽しいし、勉強になります。

演出
テレビを観ている人はおおむね中央付近を観ていると書きましたが、四方にあるフレーム際から中央付近への動きや、フレーム内での動かし方をダイナミックに気持ちよく見せるには「フレームの意識」が必要になってきます。
描き手は、見る人の目の動きを誘導したり裏切ったりして翻弄する意識も必要。
つまり、演出ですね。

福山庸治さんの「マドモアゼル・モーツァルト」にこんな一節があります。
幼いモーツァルトが父親に即興演奏をしてる場面。
テーマを繰り返し弾いていて慣れた頃合いで転調、そうすると聴いてる人は不安になるでしょう?もっと転調して振り回してあげる。で、元の調に戻って安心させてあげるの。ね?おもしろいでしょ?
これを聴いて父親は「この子は天才だ!」と驚愕するわけですが。
ボクは「これぞ演出ではないか!」と感激したのです。

フィルム全体の演出もそうですし、原画マンが動きを構成するときにも同じように演出が大事です。
ただ思いついたように描き送るのではなく、見る人の一歩先を見て構成するわけです。

イメージの素は現実に無数にある
こういった動きを描くには「どんな風に動かしたいか」のイメージがないと無理です。
そのイメージを、頭の中や、机上の範囲で創りだすのは無理があります。
「上手い作画」をいくら見ても、それを再現できれば良い方で、たいていは劣化します。

現実の動きを観察して、何が起こっているか分析し「アニメーションとして気持ちの良い動かし方」に昇華する必要があります。
そこがおもしろいんです。

可能性はほぼ無限大です。

大先輩の名作画から学ぶのは大いに結構ですが、それに縛られる必要はないのです。
上手に盗んで、自分なりの工夫をすれば良い。

自分なりの工夫を見つけるのにも、やぱっり自分の頭の中や机上では限界があります。
天才なら別でしょうけどね。。。
(天才と言われる人ほど実際には人百倍努力しているものです。見えないだけ。努力と思ってないだけです。)

ボクは凡人なので、色々観察して、おもしろいモチーフ見つけたら頭の中で原画にする努力をしました。
慣れてくるとタイムシートもその時点で付けられようになります。

クイックチェッカーを使うのも否定しませんが、その前に、紙に原画を描く前に、シート付きの原画をイメージできるような訓練をしてみると良いと思います。
そうすればチェッカーに入れてみたらいらない原画が何枚も… なんてことも減ってきますよ。

あとは自分で動いてみることですね。
重力や、手足の重みを実感して、その上でアニメ的なウソを上手につけばよいのです。


現実をまっすぐな目で観察し、そこから楽しみを見つければ良い。