日露戦争の満州軍の大山巌&児玉源太郎コンビと、日中戦争での八路軍の朱徳&彭徳懐コンビは色々と似ていると思えないだろうか!?

大山巌が作戦立案を児玉源太郎に一任してたのは有名だが、日中戦争での八路軍もNo.1は朱徳だったが実質的な指揮はNo.2の彭徳懐が執っていたようだ。
また大山巌が余り多くは語らない性格で児玉源太郎がうるさ型の軍人だったのも有名だが、「彭徳懐の中国革命」という本に朱徳には茫洋さがあるが彭徳懐は剛直な直言居士であると評されたと書いてあった。
さらに大山巌が海外への留学経験もありある程度の軍事教育を受けてた一方で、児玉源太郎は正規の軍事教育を受けていない叩き上げの将軍であったにも関わらず軍事理論に精通していた。 朱徳も士官学校で正規の軍事教育を受け海外留学の経験もある一方で、彭徳懐はそれらを持たない叩き上げの将軍だったがやはり軍事理論に精通していた。
その上大山巌と児玉源太郎は出身地が別(薩摩藩と長州藩)だが、朱徳と彭徳懐もそれぞれ四川省と湖南省の出身である。
それに加え大山巌は児玉源太郎より生まれは早いが亡くなるのは彼の後である。朱徳と彭徳懐も同様である。
何だかポケモン不思議のダンジョンシリーズの探検隊ギルドのおやかたさまのプクリンと1番弟子のペラップの関係性に似てるとも思える。
いかがだろうか!?