「リリース リコレクション!」って、無意識に叫んだことで、思い出したことがある。
そう言えば、録画してあった「ソードアートオンライン アリシゼーション」を見終わっていたのであった。
続編である、「アリシゼーション war of underworld」も、同時に見たのであった。
アリシゼーションが2018年。
war of~の前半が2019年。
後半が2020年。
に放送されたようだ。
私が調べた範囲では、これが完結編ということでいいみたい。
他にも、劇場版なんかもあるみたいだけれど。
以前のソードアートオンラインのレビューで、とてもボリューム感のある作品であると紹介したのだけれど。
今回は、だいたい48話くらい。実際にボリュームがあるし、ボリューム感もあるので、すごい見応えなのであった。
第2期からの続きになっているけれど、どんどん話は進んでゆく。
シリーズ通して思うのは、この作品って遊びがほとんどないというか、本筋じゃない話は、全てその後のフラグになっているといっても過言ではない気もするくらい。
まあ、ちょいエロ描写とか、ターゲットを男性に絞っているのかな、というようなシーンも、忘れないところもあるけれど。
基本、真面目に一途に本編を描いてゆく感じ。
前回からのバーチャルな世界でもなく、転生でもなく、人間の魂をシミュレートした世界ってことなのかな。
ここに来て、また、全く新しい世界を作ってしまう、すごさもある。
夢を見ていることに似ているってことなのか、例えば、一晩ダイブしたとしても、体感的には、数年から10年くらい経っているとか。
バーチャルにダイブするのとは、また違った設定を作ってしまうのは、さすがとしか言いようがない。
しかも、6年も前に。
どんな世界なのよって、見ているこちらは、ワクワクが止まらない訳である。
この仕組みを使って、キリトの幼馴染を数人作ってしまったりとか、とにかくアイディアがパない。
人の命を描いてきた、この作品の行きついた先は、シミュレートされた魂、人工フラクトライトの人権を認めるべきなのではないか、というところなのであった。
これは、我々の世界でいう、AIの人権っていうのに、ほんの少し似てもいると思う。
先を行っている訳。
参考にはなるはずである。
人工フラクトライトの代表として、我々の世界にやって来たアリスは、とても辛そうだったし、彼女のこの先を考えても、平坦な道のりとはとても思えない。
でも、だからこそ、それを描くこの作品には、意味がある。
未来のアリスの助けになるかもしれない。
手塚治虫もやっていた、一足先に未来を描くのは、人々を導くことにもなる。
盲目的に導くのではなくて、考える土台になる訳である。
そういう点、尊い作品とも言える。
とても面白かった。
たっぶり楽しめる作品群として、人にもオススメ出来る。
曲は、第1シーズン前半OP曲は、「ADAMAS/LiSA」。
今回、そして、歴代SAOの曲の第1位に決定。
今回は、沢山の曲があって、僅差のものも多かったけれど。
最初に聞いたショックと、何度も聞いたメッセージ性、今回は作品に合っていないような曲はなかったけれど、トータル、この曲がベスト。
第1シーズン前半ED曲は、「アイリス/藍井エイル」。
この曲も、作品にも合っていたので、聞いてすぐ好きになった。
それで、ADAMASと一緒にレンタルして、携帯オーディオで何度も聞いていたのだけれど、何度も聞いていると、歌詞が少し、メランコリー過ぎるというのか、センチメンタル過ぎるというのか。
聞いている時の精神状態にもよるのかもしれないけれど、私には、少し足りなかった。
もう少し、前向きなものが欲しかった感じ。
まあ、作品前半のそういう部分を描いているコンセプトなので、仕方がない面もあるけれど。
第1シーズン後半OP曲は、「RESISTER/ASCA」。
ヴォーカルも良いし、曲も、今聞いても、OP曲らしい曲。当然作品にも合っていて。
ほとんど文句もない感じなのだけれど。
あえて言うと、歌詞が少し足りなかったかな。
TVサイズしか聞いていないけれど、灰汁(あく)がまったくないような感じで、ほんの少し、物足りなかった。
第1シーズン後半ED曲は、「forget-me-not/ReoNa」。
ReoNaの曲は、第2シーズンにもあるのだけれど、どちらもとても良かった。
このforget-me-notとANIMAは、LiSAの曲と同率1位といってもいいくらい。
歌詞が足りない訳でもなくて、あえて言うなら、私の受けたショックとか、曲のパワーみたいなものとか。
作られた年代的にも、こちらの方が曲として新しい感じはする。
作品とのシンクロも平均点以上だし。
総じてかなり良い。
第2シーズン前半OP曲は、「Resolution/戸松遥」。
さわやかでもあり、OP曲らしくもある。
この声優さんは、(女性キャラの場合)あまり声を作るタイプに見えないけれど、聞いているこちらは、やはりアスナが歌っていると取る。
作品に必要な曲って感じがするけれど、大好きにはならなかった。
第2シーズン前半ED曲は、「unlasting/LiSA」。
この作品の、命を扱っているという部分にシンクロする感じが、さすが。
私が、こういう曲を上位にしにくいという好みであるというだけの話。
第2シーズン後半OP曲は、「ANIMA/ReoNa」。
上にも書いたように、好きな曲。
しょっぱなのストレートな歌詞から、心を掴まれた。
見ているこちらの感覚ともシンクロするような感じがいい。
第2シーズン後半ED曲、「I Will・・・/藍井エイル」。
これもかなり良かった。
ED曲というだけで、上位になりにくかったけれど。
歌詞が、もっと独特になった方が、私の好み。
まあ、ここに書いたアーティスト達は、今日現在に至るまでにも、幾つもの作品を作って、未来に進み続けている訳で。
とくに古い作品になるほど、過去の一部を持ってきて、レビューすることがますます無意味に感じるけれど。
まあ、もともと無意味だし。私が好きかどうかというだけの話だから。
フラクトライトの人権だけではない。
この作品では、他にも色々なものが描がかれている。
人工的に作られた(コピーされた?)魂だからこそ、我々、人類や文化・法律っていうのは、どういうものなのか、初めからあったものではないのだということなんかを、考えさせられたり。
war of~の方の、悪役2人のうちの1人、ヴァサゴだったかな。
顔はよく覚えているけれど、名前は何となく。
このヴァサゴが悪になったのは、毒親のせい。(貧困も関係あるかもしれないけれど)
でもしかし、もう1人のガブリエルがとんでもない殺人嗜好になったのは、毒親のせいという訳でもない。
ほとんど脇役のヤナイだったかな、あれは、フラクトライトを人ではなく、モノとして見ていたからかもしれないし。
私の注意力では、拾いきれないほど、色々描かれているのである。
そして、第1期から続けて描かれている、キリトの心の傷。
目の前で人が死んでゆく。
自分を、大切な人を守るため殺した。
それを、仕方がなかったで片付けないところ。
当たり前なのだけれど、少年マンガでは、割と端折られがちな部分でもある。
そこに真正面から向き合う。
その当たり前を、行う生真面目さに、真実を感じる。
その描き方のおかげで、第2シーズンは、キリトが大半登場しなくなってしまう。
その分、爽快感は失われてしまうのだけれど、あえてそれをしてでも描くというこの姿勢が素晴らしい。
外的要因が元になったとはいえ、キリトは、その罪の意識によって、自分で自分の魂に穴をあけてしまい、再起不能状態になる。
結局、復活はするのだけれど、その復活の前後、あるいは復活後でも、キリトが一人で考えこむと、どんどん自己否定になってゆくのである。
しかし、キリトのことが好きな他のキャラ達との交流によって前向きになる。
キリトが甘ったれということではない。
人間みんな、とくに状況が悪いときほど、自分1人で考えているだけでは、割と良くならない。ということだと思う。
これはもう、方法論ではなくて、人間論なんじゃないかと思う。
それを、押し付けがましくなく、伝えてくれている。
意外と、こういうところも、この作品の重要な、素晴らしいところのような気がする。
第2シリーズのwar of~は、前半と後半の放送の間に1年くらいの間隔が空いているのだけれど。いちばん最後の後半が、HDDレコーダーをいくら探しても見つからなくて。
そういえば、同じ名前の新番組が始まったときに、これは再放送じゃないのかと思って録画をしなかったということが2~3回あったことを思い出して。
その内の1つかなあと思って。
2秒くらいパニックになったけれど。
最近利用を始めた、ゲオの宅配レンタルを思い出して、それだと思った訳。
こういう時だけは、古い作品を見ていて良かったのかもしれない。
古い作品は、割引セールなんかも多いので、今回も、見逃した5~8巻を、1つ80円でレンタル出来た。
ただまあ、送料みたいなのがあるので、それもプラスして考えなければならないけれど。
あんまり本数が少ないと、送料がもったいないという現象が起こるので、慌てて、メモしておいた、レンタルしたいCDのタイトルなんかを見返してみたりとか。
私の場合、見逃しはこれかな。
(今のところサブスクには縁がなくて)
私も本当に、記憶力に自信がないものだから、未確認情報として聞いてもらいたいけれど、たしか、ヴァサゴの遺体が無かったみたいなこと言っていた気がするし。
ラストの、あの未来のアンダーワールドみたいなのも、あれはあれで、「バックトゥザフューチャー」みたいな、良い終わり方だったと思うけれど。
あと、第1シーズンラストの、アドミニストレータがリアルワールドに逃げようとした時に、あの気持ちの悪い手下がくっついていった、あれは、その状況がいやで、最終的に、アドミニストレータが自殺をしたとも、とれなくもないけれど。
ハッキリとは描かれていなかった気がする。
あとは、山寺宏一の声の人だれだっけ、カヤバだったかな、彼の精神が動かしたと思われる、あのロボとか。
キリトのフラクトライトのコピーについてもそうだけれど、この辺りの謎・行く末を説明するだけでも、もう1シリーズ出来てしまいそうなくらいにも見える。
続けようと思えば続けられるようなポテンシャルを保持したまま終わった作品であるといえる。
そう言えば、「ワンピース」のワノ国篇が終わっていた。
最初は、ロジャーやオデンの話は要らないかなと思った。省略すればいいのにって。
私は、そんなにかっこいいとも思わなかったし。
でも、ヤマトやモモの助の話まで、やり切ったのを見せられると、否定は出来なくなる。
あれがあったから、この面白さにたどり着けた、ということ。
最初から、私の見立てでは、このワンピースは、海賊の冒険、大航海時代みたいなやつの他に、いわゆる”任侠モノ”をやりたいと思っているのだと、とらえていた。
それで今回、江戸時代のような世界観とサムライ。
保守主義なのか何なのか知らないけれど、好きな作品の作者が、その好みを詰め込んで作ったものは、趣味の違う私でも、ちゃんと楽しめる。
新キャラもギア5も、最終的には大満足。完結じゃないけれど。
曲は、ワンピースはどのシリーズも、曲数が多いけれど。
私が好きなのは、OP曲「最高到達点/SEKAI NO OWARI」。
そして初めてのED曲だと思っていたけれど、違うかもしれない「Raise/Chilli Beans.」。
最高到達点は、絵も含めて、言うこと無し。
Raiseは、偶然なのか分からないけれど、”鼓動”というコンセプトがピッタリ。
歌詞の内容は、作品全体をカバーしているけれど、放送された時期や、バックの絵、女性ヴォーカルなんかを総合すると、ヤマトが旅立ちを決意出来た喜びの歌に聞こえる。勝手に。
ワノ国篇を総括すると、結局、最高到達点という曲が象徴しているのかなあと思った。
ワノ国篇で、最高到達点が好きだと書いたけれど。
とにかく歌詞が、かなり良いなと思った。
Raiseの方も、過去曲と比べても、かなり良い歌詞なのだけれど。
やはり、セカオワの方はすごいと思った。
簡単な言葉で、でもありきたりでもなくて、もろにワンピースなんだけれど、ワンピース関係なく、いい言葉。
聞いてみたら分かるでしょ?今までのOP曲と全然違うでしょ?
って、みんなに問いかけたくなるくらいに。
アニソンについては、YOASOBIの話なんかを聞いても分かるのだけれど、新番組なんかは、最初の2話くらいしか出来ていなくて、最終回もまだ決定していないこともあるそう。
多少の差はあれども、大昔から、アニソンを作る時の条件は、おそらくみんな同じはずである。
私が子供の頃くらいの大昔は、作詞は作詞家の先生がやるもので、アニソンもその先生が作ることが多かった。
その先生は、上の条件と、監督か誰かからアニメの情報をもらって、歌詞を書いてゆく訳だけれど、アニメになんか興味はないので、監督から聞いた、主人公の名前や、旅の目的、あるいは出て来るロボットの名前や、必殺技の名前などを歌詞にした後は、だんだん書くことがなくなってゆく訳である。
書くことが無くなった後は、”行け”とか”頑張れ”とか、戦え・飛べ・走れとか、本当に言葉が尽きたときは、ラララとかルルルとか。
そんな感じのアニソンだらけだった。
水木一郎アニキが出てきて(出てきてって言っても、私が生まれた頃からいたような気もするけれど)、アニメを大切に思い、見ている子供達のことを考えて、アニソンの歌詞が作られるようになり始めたけれど、先生の時代からある、作業手順というのか、そのフォーマットは変わってはいないように見えた。
その後、ガンダムくらいでアニメが変わってきて、それでも、その最初のガンダムは、先生的な人が作ったので、私の分析だけれど、その後のZガンダムでは、その反動で、洋楽に影響を受けたポップスあるいはロックのような、曲と歌詞に変わった。
それでも、アニメ全体としては、昔ながらの作詞法がなくなることは無かった。
そしてその後、少し経って、バブルと呼ばれる前後の頃。
テレビの歌番組なんかでよく見たようなミュージシャンが、アニソンをやることが増える。
先生のような歌詞でもなく、その頃流行りの歌詞に曲調で、オシャレ感があったとは思う。
たまに、アニソン歌手らしい人が、ミュージシャン・アーティストがアニソンをやることを否定的に言うことがあるのは、この頃の影響だと思う。
そのタイプのアニソンは、オシャレ感はあったけれど、アニメにあんまり関係ないように聞こえるものも多かった。
アニメに思い入れもなくて、自分達の音楽を聞かせてやるくらいの曲が多い印象で、私も否定的に捉えていたので、気持ちは分かるのだけれど、上に書いたセカオワのように、今はもう、そういう時代ではないと言えると思う。
今もまだ、ミュージシャンがアニソンをやるのを否定的に言う人がいるなら、時代遅れであると言っておきたい。
でも、上に書いた、昔の先生のアニソンの作り方。
今、ワンピースのOP曲なんか、若いアーティースト・若いグループだかユニットだかの曲が沢山あるけれど、その、昔の先生の作り方と違っているのであろうか。
もちろん、違いは確かにある。
若い人が歌うのにふさわしい歌詞であるとか、ラップパートなんて、先生は作らなかったし、それなりに良いこと言う部分も、あることも多い。
でも、フォーマットがあまり変わっていないなあと、私は思ってしまう。
昔の歌詞って、小説の冒頭部分に似ている。
どちらが先か知らないけれど。
いきなり言いたいことを言うのではなくて、情景というより風景から描いて、等身大の人間の生活を描いたりして、そこから物語を作ってゆくような感じ。
それが、昔の歌詞の書き方。
もちろん、今でもそのフォーマットで作り続けられている。
それで、素晴らしい物語が描かれることもあるし、そういう歌詞を楽しむことも、当然知っているし、すぐには思い出せないけれど、好きな歌詞の曲も沢山あった。
ただ、そういう歌詞は、聞いている人に、細かい心情は、自分で考えろって言ってくる。
そして、そういう曲が世の中に溢れたとき、大量の、中身の無い歌詞もまた、溢れるのである。
いいこと言っているように見せて、実はカラッポであったり。結局、大したことは描けていないものや。
生まれた頃からずっと、そういう歌詞に囲まれてきて、私はもう、飽き飽きしているのである。
私が、曲の評価で古いなんてよく使うのは、まさにその点なのだ。
昔の先生の、割と最後の生き残りといえば、秋元康がいる。
あの人は、先生の生き残りとも言えると思うけれど、初めてAKBの歌詞を沢山聞いた時は、メチャ良い歌詞ばかりだと思った。
今の(当時の)アイドルは、すごいな、って。思った。
秋元康は、昔のフォーマットも使いながらも、曲を聞くターゲットになる人に届く歌詞を心がけて、それを実行できる人なのだろうと思う。
フォーマットに古い部分があったとしても、こういう歌詞は古いとは言わない。言えない。
歌詞を書く人の年齢も、先生かどうかも、関係ない訳である。
私は以前、呪術廻戦第1期は、ED曲のLOST IN PARADISEが1番良いと評価をした。
でも、あの曲は、私の見立てでは、マイケルジャクソンの曲の再現を目指すような趣向で作られている。つまり、古い。
それでも、バックの絵と合わせて見ると、とても楽しかった。
まあ、そういう評価もあるということ。
大昔から、古いフォーマットじゃない歌詞も20%くらいはあった気もする。
増えてきたなと思ったのは、初音ミクから数年たって、歌い手みたいな言葉を聞くようになった頃。
当時まったく気が付かなかった。
ミスチルなんか、今聞くと結構良い歌詞なんだなと思ったり。
まあ私も、思い切り、節穴なのだけれど。
メッセージのある、言いたいことのある曲に、頑張ってもらいたいと思っているのである。
最近よく行くお店は、有線がよく流れている。
久しぶりに聞くので、1週間くらいで変わっていくんだなあとか思いながらよく聞いているのだけれど。
少し思ったのが。
新しく作られた、古臭い曲が、何か多いなということ。
私の勝手な分析なのだけれど、これは、紅白にAdoやセカオワが出たからというのが理由なのではないかと思っている。もちろんYOASOBIなんかもだけれど。
去年年末だけではなくて、その1年前にも、同じメンツが活躍していた気がする。
音楽の趣味が保守的な人達が、それらを見て、自分達の選択肢が演歌しかなくなるのではないかって、不安に思ったのではないだろうか。
以前にも書いた、日本は保守の国なので、こういう人が沢山いても不思議ではないのである。
過去に戻そうとするような、こういう”反動”があっても不思議ではない。
そういう不安を感じ取って、昔っぽい曲が作られるのではないかと思った訳。
これは、作る側は、主義ではなくて、商売としてニーズを汲み取っているだけであって。
おかしなことでも、悪いことでもない。
商売の工夫なのだから、まあ、感心するところなのかなと思う。
そういう見立て。