アルバム「MY FIRST LOVE」収録。
「ON THE ROAD 2005」では、
あえてオープニングに持ってきたこの曲。
そして「光と影の季節」に流れ込んでいく疾走感。
このバランス感が素晴らしい。
あえてオープニングに持ってきたこの曲。
そして「光と影の季節」に流れ込んでいく疾走感。
このバランス感が素晴らしい。
「ある晴れた夏の日の午後」という歌にも書いたが、
夏には「強烈な生のイメージ」と共に「死のイメージ」がある。
雲ひとつない紺碧の空。太陽。蝉の声。静寂。
喪服を着た男が自分の影を踏みながら歩いている。
夏には「強烈な生のイメージ」と共に「死のイメージ」がある。
雲ひとつない紺碧の空。太陽。蝉の声。静寂。
喪服を着た男が自分の影を踏みながら歩いている。
今から30年前、1975年/夏。
その年の春、
ロック・バンド「AIDO」でレコードデビューしたオレは
髪を長くし、ベルボトムのジーンズに
バスケット・シューズという格好で、
千葉・御宿の海岸とか、岡山城の城内とか、
福岡の公園の特設ステージとか、
いろんな場所でバンドのドラマーとして演奏していた。
その年の春、
ロック・バンド「AIDO」でレコードデビューしたオレは
髪を長くし、ベルボトムのジーンズに
バスケット・シューズという格好で、
千葉・御宿の海岸とか、岡山城の城内とか、
福岡の公園の特設ステージとか、
いろんな場所でバンドのドラマーとして演奏していた。
その夏から更に、さかのぼること30年...60年前の1945年/夏。
警察官であった父は原爆投下によって被災した広島を目指し、
医師や看護婦や青年団で構成された救援隊を率いて、
炎天下を歩いていた。
警察官であった父は原爆投下によって被災した広島を目指し、
医師や看護婦や青年団で構成された救援隊を率いて、
炎天下を歩いていた。
8月6日の広島、9日の長崎・原爆記念日。
15日の終戦記念日。
15日の終戦記念日。
他の国の人達の夏に対するイメージは、
「太陽と恋とバカンスの季節」かもしれないが、日本の夏は違う。
日本の夏は否応なく、
「戦争」や「平和」や「国家」や「民族」や「歴史」や「生と死」
といったことについて考えることを求める。
「太陽と恋とバカンスの季節」かもしれないが、日本の夏は違う。
日本の夏は否応なく、
「戦争」や「平和」や「国家」や「民族」や「歴史」や「生と死」
といったことについて考えることを求める。
日本の夏には悲しみがある。
いつの日か、この悲しみを乗り越えられることを願う。
2005年 夏 省吾
(浜田省吾公式ジオログより)
いつの日か、この悲しみを乗り越えられることを願う。
2005年 夏 省吾
(浜田省吾公式ジオログより)
「あの夏の朝」の後日談といえる、
この静かな怒りに満ちた「8月の歌」は、
まさに「アルバム」の影の部分ではあるが、
対になってる曲が、「君と歩いた道」だという事を考えると切ない。
省吾はもちろんの事我々の想いとはうらはらに、
「J・BOY」はまだ子供のまんまで、
繰り返し起きてきた悲しみを、いくつもの困難を、
教訓にする事無くまた同じ道を進もうとしている。
繰り返し起きてきた悲しみを、いくつもの困難を、
教訓にする事無くまた同じ道を進もうとしている。