「8月という月は、日本人にとって特別な月だと、そんな風に思ってます。
人の人生とか、死とか、戦争とか平和とか、そういった事を考える、そんな特別な月だと思います。」(省吾談)
人の人生とか、死とか、戦争とか平和とか、そういった事を考える、そんな特別な月だと思います。」(省吾談)
省吾のイメージの中での夏・・というのは、
「焼けた肌の女の娘達」が戯れるような、楽しげな「光の季節」ではなくて
、あくまで「影の季節」なのでしょうね。
NEWアルバム「MY FIRST LOVE」のエンディング曲である、
NEWアルバム「MY FIRST LOVE」のエンディング曲である、
「ある晴れた夏の日の午後」には、他の曲以上に、
「光と影」が端的に表現されている気がします。
曲の中に、「8月の太陽」という歌詞がある事からも判るように、これもまた、「八月の歌」だという事がわかります。新しい「八月の歌」。
曲の中に、「8月の太陽」という歌詞がある事からも判るように、これもまた、「八月の歌」だという事がわかります。新しい「八月の歌」。
そしてタイトル。「ある晴れた夏の日の午後」。
これは、まさに「あの夏の日の朝」の後日談といえるのではないでしょうか?
その日も、抜けるような晴天だったといいます。
喪服を着た初老の主人公。
その日も、抜けるような晴天だったといいます。
喪服を着た初老の主人公。
(もしかしたら、被爆者である父親をイメージしてるのかもしれない)
彼が、若くして亡くした伴侶・・・もしくは恋人の写真に手を合わせる命日・・
彼が、若くして亡くした伴侶・・・もしくは恋人の写真に手を合わせる命日・・
それは、8月6日その日なのかもしれない。
「いつかまた遭える日が~」のくだりは、自分も後を追う運命なのか?
「いつかまた遭える日が~」のくだりは、自分も後を追う運命なのか?
「鋭い刃で切り取った影」などの描写を聴くと、
そう思ってしまうのは考えすぎでしょうか?
もともと原爆が投下された当時は、50年間は草木も生えないといわれたそうですが、
くしくも今年は、丁度その日から60年。
もともと原爆が投下された当時は、50年間は草木も生えないといわれたそうですが、
くしくも今年は、丁度その日から60年。
冒頭の、「風が青い稲の~」というくだりは、
広島の戦後の復興までイメージしてる気もします。
でも、まだ「青い稲・・なんだよね。
「八月の歌」は、ストレートな怒りにみちた、反戦SONGだったけど、
今回の、新「八月の歌」は、静かな怒りに満ちた、
「八月の歌」は、ストレートな怒りにみちた、反戦SONGだったけど、
今回の、新「八月の歌」は、静かな怒りに満ちた、
反核SONGなのではないでしょうか?