郊外、都市そして列車事故
あまりに悲惨な事故が起きた。
21世紀の日本は大阪万博の頃に夢見た輝ける未来都市ではなく、列車が住宅に衝突するという都市のスプロール化の最悪の状況を引き起こす事態になった。
利益最優先の企業体質、大企業特有の無責任体質など、事故の背景についてマスコミが連日報道しているが、私は現代日本の郊外問題について考えようとしている矢先に起きたこの事故を、郊外問題における史上最悪の出来事ととらえている。
2005年5月3日の朝日新聞においても、事故で亡くなられた方が居住していた西宮市北六甲台について書かれた記事があり、それによれば北六甲台は80年代に出現した現代日本の典型的な郊外であった。偶然、私は郊外問題について考えるにあたって関西圏における地名から「○○台」と「××丘」と名づけられている地名を郵便番号データ(※1)を利用してピックアップしており、北六甲台の所属する西宮市における数は13ヶ所であるが、むしろ地理的環境的に近い宝塚市では29ヶ所もあり、関西圏最上位の堺市、神戸市北区の32ヶ所に次ぐ結果である。もちろん、「○○台」「××丘」という地名の全てが典型的な郊外と断言することもできないが、その多くは高度経済成長期以後の70年代から80年代、90年代にかけて造成された地域であり、販売促進の目的から「耳障りのよい名前」「イメージの良い名前」が名付けられた地域であることは間違いない。滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、和歌山県、兵庫県の2府4県での総数はなんと712ヶ所にも達する。
そして、今回の事故はこういった「○○台」「××丘」に代表される郊外の経済的社会的位置に起因する事故であり、特に私鉄との競合が激しいJR宝塚線で、かつ都心に近い密集地であった尼崎市で起こったのである。
郊外は快適な生活環境を求める人々の需要に応えるものではあるが(ここでは需要優先かデベロッパーの供給優先の結果なのかといった議論は留保しておく)、郊外はあくまで居住に特化した機能しか備えておらず、郊外に住む多くの人々は生産手段を都心の職場に求めざるを得ない。そこで、その交通手段としての道路、鉄道が発達する。
重工業や化学工業などの典型的な重厚長大型産業や製造業の工場といった第2次産業が主流であった時代は、職場そのものが浜辺や山里に存在し、かつそれほど住居と離れていないため、いわゆる団塊の世代、「金の卵」と呼ばれた世代が郊外に住み始めた時代には通勤そのものはそれほど問題にならなかっただろう。
しかし、第3次産業が主流の現在、住居と職場の距離は増大する一方で、通勤ラッシュも今では当然のこととしてあえて問題視することも少なくなりつつある。さらに、製造業の海外移転やグローバル経済の到来によって、今後の中核とされる知識産業はクラスター論に代表されるようにますます集積の必要性を唱えられており、職場が都心に集中することは避けがたい状況にある。この文脈で考えるならば、今後も今回の列車事故が起きた郊外と都心における社会的構造が変化することは想定し難いのであり、企業体質の改善や安全手段の確保といった処置は対処療法の域を出ないといわざるをえないのではないか。
さすれば、今回のような痛ましい事故が再び起こることのないようにするためには、列車がわずか数分遅れようともかまわないとする心情、働くこと、労働と生活の関係そのものに対する意識の持ちようを、ひとりひとりが変える必要があると考えるのである。
※1 郵便ホームページ http://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/kogaki.html (2005年4月9日現在 )