郊外から考える | 次世代都市政策研究所

郊外から考える

 次世代のための都市政策を考えるにあたって、私はまず「郊外」について考察する必要があると考える。
 現在、日本の都市活性化策として職住近接や都市型新産業、特にクラスター論がさかんに唱えられているが、確かに理論的にはその方向に向かうことが正しいようには思われるものの、私はその実現性に懐疑的にならざるをえない。それは現在の地方自治体それぞれが、地方分権の時代として自らの「地域」活性化を目指すのは理解できるものの、その地方自治体は決して「都市」といえないのではないか、という政策と現実のギャップに由来するのである。多くの地方自治体は「郊外」としての政策を考えなければならないのではないだろうか。

 ニューヨークのダウンタウンにアーティスティックな若者とテッキー(プログラマーなどの技術=テクニックを持った若者)が住み着いてwebデザインやeコマースといったIT・マルチメディア産業が発展し、都市が活性化したとしてそのモデルをもてはやしたとしても、それはあの「アメリカ」のしかも「ニューヨーク」であることを忘れてはいけない。ニューヨークならば、かなりの若者が相当古いビルでも「住みたい」と思うであろう。
 日本でこのシリコンアレーモデルが実現可能なのはせいぜい秋葉原ぐらいではないだろうか(リナックスカフェはこの成功例といってよい。)。日本の平均的な市で、駅前にあるハンバーガーショップと英会話教室が入居している商業ビルに日本の若者は住み込まない。

 日本の若者、そう、この若者の行動、指向、そして若者をとりまく現在の社会状況と社会構造、さらにそれらのこれまでの推移と将来予測を考えることなくして、日本の将来のための都市政策を語ることは無意味であるといっても過言ではない。
 そして、現在の日本の若者の多くが郊外に生まれ、郊外に育った状況を考察することが、まず次世代都市政策の第一歩となるのではないかと考えるのである。

 これからしばらく、郊外について考えていきたい。


※もちろん、大阪市などの都心や、京都市などの歴史ある都市に育った人も多く存在するであろうが(いずれきちんとデータを取る必要があるだろう。)、私自身が郊外2世として育ち、独立して住居を構えたのがやはり郊外であるという事実が問題意識の底辺に存在していることを申し述べておかねばならない。
 また、私は関西に居住しており、具体的なイメージをもって議論するためにこのブログでは関西圏をテーマとして議論を進めることをご了承いただきたい。

(参考文献)
 西澤晃彦,2000,「第8章 郊外という迷宮」,町村敬志・西澤晃彦『都市の社会学』有斐閣アルマ