次世代都市政策研究所
Amebaでブログを始めよう!

お知らせとお詫び

もう半年以上もこのブログを更新しておらず、ご覧になっていただいているみなさまに申し訳ない気持ちでいっぱいです。


この春に大学院を卒業してマスターを取ったからには、そこで得たものを活かして社会活動をやらねば、という思いで始めたこのブログですが、気負いすぎたのか、なかなかブログのタイトルの名前負けをしてしまって、記事を書くアイディアがうかんできませんでした。(以前に、ただすきまを埋めるためだけの記事を書く不誠実はしない、とミエをきってしまっていますし・・・。)


考えてみれば、私はまだまだ勉強中の身であり、まとまった都市政策を次々にうちだせる実力はなく、頻繁に記事を更新できるはずもないことは当然のことなのです。


実は、昨年の12月あたりから、自分の中で理論研究をもっとしっかりやろう、という考えが固まってきて、もうひとつブログを立ち上げてしまいました。


我ながら驚いているのですが、そちらではとても毎日は無理としても、週1ぐらいには記事を更新できています。かなり専門的な議論なので、なかなかとっつきにくいかもしれないですが、興味がありましたらのぞいてみてください。


http://ameblo.jp/habermas/


申し訳ないですが、しばらくは、こちらのほうで理論研究に没頭したいと考えています。


ただ、こちらのほうもやめるつもりもなく、むしろ理論研究がまとまれば、こちらを実践の場として、都市政策のアイディアを書いていくつもりです。


そういった状況ですので、今しばらく、ご辛抱ください・・・。


郊外の機能

 前回の記事を書いてから早くも1ヶ月以上が経過してしまった。
 自らが未だ勉強中で様々な書物をフラフラと渡り歩いているため、ある程度インプットし、何がしかアウトプットできるものが醸成されるまで時間がかかる。せっかく読者になっていただいている方々には申し訳ないが、ただ隙間を埋めるためだけに文章を書く不誠実は行いたくないので、遅筆であることをご了解いただきたい。


 さて、今回は郊外の持つ「機能」について考えてみたい。
 郊外の持つ機能について真っ先にあげられるのが、「快適な住居」であることはほぼ間違いないであろう。人口密度が高く、騒々しい都市部から庭付き一戸建ての閑静な住宅街へという移行が、高度経済成長期の日本人の目標であり、アメリカでもそうであった。ちなみに、私が昨年お世話になったフィンランドのタンペレ大学教授も、現在の都心部のアパートから湖の見える美しい郊外住宅地に一軒屋を構えることが夢と語っていた。
 しかし、この「金の無い若い時代は都市部で家賃の安いアパートに住むことを余儀なくされ、それなりに賃金を確保できる段階になるとローンを組んで郊外の住居を購入する」という現代ではほぼ常識化されたパターンは、いわゆるサラリーマン型の職業が社会に定着してからの現象であり、日本においてはようやく1960年代、70年代からみられるようになった現象である。そして、この「快適な住居」としての機能を備えた郊外は、実はその「快適性」とは健全な勤労者世帯にとっての「快適性」でしかなかったのであって、決して高齢者世帯にとっては「快適」ではないということが明らかになってきている。
 郊外は「快適」さを得るために、都心部からの離れることを引き換えにした。つまり、食料その他日用品など、生活に必要な物を手に入れるためには自ら交通手段を確保しなければならないリスクを負うことになったのである。そして、モータリゼーションの時代が到来したことと相まって、郊外は公共交通手段に依存することなく、人々が自由に自動車を使用することによって郊外の住居と生活必需品を手に入れる都心部とを行き来することができるようになったため、郊外における生活が成立した。しかし、郊外に居住する人は高齢になり、自動車の運転が困難になってくると、食料の確保すら困難になる事態に直面するのである。傾斜が急な宝塚方面では家の周囲の歩行ですら困難になるし、山間部を切り開いて造成された大阪の能勢方面(希望ケ丘)などでは住宅地に住んでいながら完全に孤立する事態すら起こり得るのである。現在、大阪都心部のマンションの売れ行きが好調な背景には、こういった郊外に住んでいた高齢者が、日々の買い物や病院などの移動にかかる便利さを選択、またはリスクを回避するために選んだこともあげられる。(しかし、筆者は中之島のマンションに住んでいったいどこに日々の食材を調達にいけばいいのか疑問ではあるが。)
 また、郊外はその宅地造成の計画が「美しさ」「快適さ」を追求するがゆえにムダがない。道路と住居、そしてわずかばかりの公園のみで構成されるのが一般的だ。しかし、ムダがないことは「いい意味での遊び」が無いことの裏返しでもあり、計画の想定外の行動を行なおうとするとその行動に途端に制御がかかる。外の風に当りながら、ちょっと無目的に歩いて散歩をするだけのことは、郊外では非常にやりにくいと感じるだろう。外出するには、「どこに行くか」という目的地が設定されていなければならないのである。ブラブラ歩くために道路は造られておらず、最近では家並みを見ながら歩こうものなら変質者扱いである。さらには悲惨な事件を背景に策定される条例のために、子供に声掛けすら気遣うようになる世の中である。(筆者は道に下校中の女子学生がいると、あえて意識して見ないようにしてしまっているが、なんともやりきない心情になる。)この郊外における「遊び」の無さは、いわゆる「サード・プレイス」(あらゆる層の人々が、自由に集うことができ、交流することのできる場)の無さにも繋がる。確かに公園はかろうじて「サード・プレイス」ではあるが、それでも現在の郊外にある申し訳程度に設置された公園には小さな子供を持つ人しか集まらないのが現実である。郊外には「サード・プレイス」が無いため、コミュニティやソーシャル・キャピタルを育むことは非常に困難である。そしてそれが、先述の児童連れ去り事件のような悲惨な事件が起こる背景、空き巣に狙われやすい地域の防犯力の希薄さにも繋がるのである。
 このようにみていくと、郊外の持つ機能はその「快適な住居」という大命題に特化したがゆえに、多くの都市機能を喪失しているといえるであろう。そして、それは人々が選好する個人的な効用の結果、社会的・公共的な効用が滅失している現象とみることができる。社会が豊かになり、個人が自由な移動手段を確保し、土地を自由に所有することができるようになった結果、郊外が誕生した。しかし郊外は未だ未成熟な存在であって、人々が世代を超えて住みつづけることができるようになるためには、まだまだいくつもの機能を補完する必要があることが、郊外一世が定年退職を始めた現在、ようやくわかってきたのである。

郊外、都市そして列車事故

 あまりに悲惨な事故が起きた。

 21世紀の日本は大阪万博の頃に夢見た輝ける未来都市ではなく、列車が住宅に衝突するという都市のスプロール化の最悪の状況を引き起こす事態になった。

 利益最優先の企業体質、大企業特有の無責任体質など、事故の背景についてマスコミが連日報道しているが、私は現代日本の郊外問題について考えようとしている矢先に起きたこの事故を、郊外問題における史上最悪の出来事ととらえている。

 2005年5月3日の朝日新聞においても、事故で亡くなられた方が居住していた西宮市北六甲台について書かれた記事があり、それによれば北六甲台は80年代に出現した現代日本の典型的な郊外であった。偶然、私は郊外問題について考えるにあたって関西圏における地名から「○○台」と「××丘」と名づけられている地名を郵便番号データ(※1)を利用してピックアップしており、北六甲台の所属する西宮市における数は13ヶ所であるが、むしろ地理的環境的に近い宝塚市では29ヶ所もあり、関西圏最上位の堺市、神戸市北区の32ヶ所に次ぐ結果である。もちろん、「○○台」「××丘」という地名の全てが典型的な郊外と断言することもできないが、その多くは高度経済成長期以後の70年代から80年代、90年代にかけて造成された地域であり、販売促進の目的から「耳障りのよい名前」「イメージの良い名前」が名付けられた地域であることは間違いない。滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、和歌山県、兵庫県の2府4県での総数はなんと712ヶ所にも達する。

 そして、今回の事故はこういった「○○台」「××丘」に代表される郊外の経済的社会的位置に起因する事故であり、特に私鉄との競合が激しいJR宝塚線で、かつ都心に近い密集地であった尼崎市で起こったのである。

 郊外は快適な生活環境を求める人々の需要に応えるものではあるが(ここでは需要優先かデベロッパーの供給優先の結果なのかといった議論は留保しておく)、郊外はあくまで居住に特化した機能しか備えておらず、郊外に住む多くの人々は生産手段を都心の職場に求めざるを得ない。そこで、その交通手段としての道路、鉄道が発達する。

 重工業や化学工業などの典型的な重厚長大型産業や製造業の工場といった第2次産業が主流であった時代は、職場そのものが浜辺や山里に存在し、かつそれほど住居と離れていないため、いわゆる団塊の世代、「金の卵」と呼ばれた世代が郊外に住み始めた時代には通勤そのものはそれほど問題にならなかっただろう。

 しかし、第3次産業が主流の現在、住居と職場の距離は増大する一方で、通勤ラッシュも今では当然のこととしてあえて問題視することも少なくなりつつある。さらに、製造業の海外移転やグローバル経済の到来によって、今後の中核とされる知識産業はクラスター論に代表されるようにますます集積の必要性を唱えられており、職場が都心に集中することは避けがたい状況にある。この文脈で考えるならば、今後も今回の列車事故が起きた郊外と都心における社会的構造が変化することは想定し難いのであり、企業体質の改善や安全手段の確保といった処置は対処療法の域を出ないといわざるをえないのではないか。

 さすれば、今回のような痛ましい事故が再び起こることのないようにするためには、列車がわずか数分遅れようともかまわないとする心情、働くこと、労働と生活の関係そのものに対する意識の持ちようを、ひとりひとりが変える必要があると考えるのである。


※1 郵便ホームページ http://www.post.japanpost.jp/zipcode/dl/kogaki.html (2005年4月9日現在


郊外とは

 それでは、「郊外」とはいったい何であろうか。
 「郊外」そのものの定義について、現在は十分なリサーチが行えていないため確固としたものがあるとはいえないが、手元にあった国語辞典によると「都会の周辺にあって、建物が密集せず、田畑や林野の多い地域」(金田一京助編者代表,1972,新明解国語辞典,三省堂)と記載されている。現在では田畑や林野そのものが少なくなっている現状はあるが、おおむね多くの人がイメージする「郊外」とはこういったもので、いわば「農村以上都市未満」といった存在といえるのではないだろうか。(※1)
 ただ、郊外の発生過程を考えると、農村と都市の間に位置付けて「農村→郊外→都市」とリニアに考えることはできない。農村から工業集積・商業集積のために飛び出した人々が集住して都市が形成され、次に都市から快適な住環境を求めて飛び出した人々が郊外を形成したと考えられるからである。また、工場がある土地に建設され、その工場従業員の住居のために郊外が形成されるパターンも多くみられる。
 また、農村、都市、郊外の依存関係に着目すると、農村は自給自足可能な存在であり、都市はその内部にかかえる人々を生かしていくためにその食料源を農村に依存している。そして郊外はそこに住む人々の収入源と食料を都市に依存している(もちろん、最近の流通の規制緩和の影響などで、郊外が食料を直接農村に依存している場合もあるであろうが、多くはスーパーマーケット等を経由して食料を確保しているため、都市的な商業経路を通じていると理解するほうが自然と考える。)。郊外は完全に都市に依存した存在であり、都市におけるサブ・システムととらえることができる。
 そして、現在はこの「郊外」と呼ばれる都市のサブ・システムが、様々な問題の舞台となっている。
 昨年年末に起こった奈良県の少女誘拐殺害事件に代表される登下校中の児童に対する様々な攻撃や学校への侵入の増加は郊外問題の最右翼といえる。1997年に起きた神戸連続幼児殺傷事件の舞台も郊外であった。また、同一世代に偏った郊外の高齢化による存亡の危機、近隣コミュニケーションの喪失による争いごとの増加などがある。マスコミ等の報道では、これらの問題はいわゆる成熟化した社会の病巣のように扱われているが、私はこれらの問題は郊外の持つ構造と社会の関係に起因すると考えている。
 郊外は現在日本の多くの人々が生活を営む場ではあるが、その生活の営みは自律性が失われつつあり、ますます経済システムや政治システムなどの社会を構成するサブ・システム(※2)に依存してしまっていると考えている。
 つまり、多くの家庭における主な働き手である夫は郊外から都心の職場に通勤し、平日のほとんどの時間を職場で過ごす。最近では不況に加えて高度情報化・知識経済の発展によって業務の複雑さが以前より増加傾向にあるため、夫はますます収入を得るための都心における労働という経済システムに依存せざるをえなくなる。それに従って郊外の平日は妻と子だけしか存在しない空間となり、そこに郊外特有の他者に干渉しないご近所さんとの「適度な距離感」が各家庭を家に孤立させる傾向が加わり、それゆえ他者の侵入・攻撃に対して無力となる。また、日々の買物等は車で離れたショッピングセンターに行くため、道すがら人々とすれ違うこともないためさらに郊外においては他者の存在に無関心となる。
 このように、郊外の構造が現在生じている問題を誘引していると考えられるのである。


※1 また、わが国の都市計画法(昭和43年6月15日法100)には具体的に「郊外」という文言は出てこないが、首都圏整備法(昭和31年4月26日法83)に関連して「近郊整備地帯」という文言があり、同法第24条第1項において「国土交通大臣は、既成市街地の近郊で、その無秩序な市街地化を防止するため、計画的に市街地を整備し、あわせて緑地を保全する必要がある区域を近郊整備地帯として指定することができる。」と定めている。ここにいう都市の核となる既成市街地の近郊に存在し、市街地と緑地をバランスよく持った「近郊整備地帯」のイメージは「郊外」のイメージと一致するといえる。

※2 ここでいうサブ・システムは社会全体をひとつのシステムととらえ、その社会全体に対して政治、経済などの個々の「領域」をサブ・システムととらえている。「郊外を都市のサブ・システムととらえる」という言い方は、私は郊外を都市に従属する存在としてとらえて表現している。

郊外から考える

 次世代のための都市政策を考えるにあたって、私はまず「郊外」について考察する必要があると考える。
 現在、日本の都市活性化策として職住近接や都市型新産業、特にクラスター論がさかんに唱えられているが、確かに理論的にはその方向に向かうことが正しいようには思われるものの、私はその実現性に懐疑的にならざるをえない。それは現在の地方自治体それぞれが、地方分権の時代として自らの「地域」活性化を目指すのは理解できるものの、その地方自治体は決して「都市」といえないのではないか、という政策と現実のギャップに由来するのである。多くの地方自治体は「郊外」としての政策を考えなければならないのではないだろうか。

 ニューヨークのダウンタウンにアーティスティックな若者とテッキー(プログラマーなどの技術=テクニックを持った若者)が住み着いてwebデザインやeコマースといったIT・マルチメディア産業が発展し、都市が活性化したとしてそのモデルをもてはやしたとしても、それはあの「アメリカ」のしかも「ニューヨーク」であることを忘れてはいけない。ニューヨークならば、かなりの若者が相当古いビルでも「住みたい」と思うであろう。
 日本でこのシリコンアレーモデルが実現可能なのはせいぜい秋葉原ぐらいではないだろうか(リナックスカフェはこの成功例といってよい。)。日本の平均的な市で、駅前にあるハンバーガーショップと英会話教室が入居している商業ビルに日本の若者は住み込まない。

 日本の若者、そう、この若者の行動、指向、そして若者をとりまく現在の社会状況と社会構造、さらにそれらのこれまでの推移と将来予測を考えることなくして、日本の将来のための都市政策を語ることは無意味であるといっても過言ではない。
 そして、現在の日本の若者の多くが郊外に生まれ、郊外に育った状況を考察することが、まず次世代都市政策の第一歩となるのではないかと考えるのである。

 これからしばらく、郊外について考えていきたい。


※もちろん、大阪市などの都心や、京都市などの歴史ある都市に育った人も多く存在するであろうが(いずれきちんとデータを取る必要があるだろう。)、私自身が郊外2世として育ち、独立して住居を構えたのがやはり郊外であるという事実が問題意識の底辺に存在していることを申し述べておかねばならない。
 また、私は関西に居住しており、具体的なイメージをもって議論するためにこのブログでは関西圏をテーマとして議論を進めることをご了承いただきたい。

(参考文献)
 西澤晃彦,2000,「第8章 郊外という迷宮」,町村敬志・西澤晃彦『都市の社会学』有斐閣アルマ

ブログ開設

2001年に生まれた子どもが成人する頃の日本は、いったいどのような社会になっているのでしょうか。
ほんの数年でこれまでの常識が大きく変化してしまう現在、私には想像することができません。
私が社会人になった1996年当時は、日本の社会は景気の低迷が指摘されつつも、それまでの高度経済成長期を経て構築された政治・経済システムによって運営されていたと思います。第2次ベビーブーム世代の私は、とりあえず就職し、退職するまで既に敷かれたレールをどう使うかということだけを考え、新たにレールを創ることなど少しも考えたことがありませんでした。
しかし、21世紀に入り、そのような既設のレールはもう使い物にならない状況が到来したのです。

 

 個人的には、2002年が大きな転換期でした。仕事上で、まさに既存のレール、これまでの方法論が使い物にならない状況に遭遇し、どうしたらいいのか全くわからなくなりました。そして、このような状況になった原因を考えていくと、誰か特定の個人にいきつくわけではなく、なぜ日本の経済状況が悪化したのかという社会的な問題にぶつかったのです。とても一人の力で解決できるような問題ではなく、一時は全てを投げ出したくなりましたが、ちょうど1歳になる子どもがおり、この子のためにせめて少しでも将来の状況をよくすることが親としての努めと考え、そのためにはまず現在の社会状況を学ぶことから、と社会人大学院に入学したのです。

 

 学問の世界には、直接求める回答が存在するわけではありませんが、解決の糸口になる素材はふんだんにあることをあらためて痛感しました。経済学、社会学、政治学、文化人類学といった社会科学のみならず、数学、物理学といった自然科学から哲学まで、これまで先人が築き上げた業績にいまさらながら驚くばかりです。先人の業績をながめているだけで大学院の2年間はあっという間に過ぎてしまい、修士の学位を得たもののまだまだ学ぶべきことが多くあるなかですが、修士課程を修了したことを機になんらかの具体的な活動を開始しようと考え、このブログを開設しました。

 

 「次世代都市政策」と銘打っていますが、これには2つの意味が込められています。
1つめは、これまで述べたように「次世代のための」都市政策を考えることです。今現在の問題に対処することはもちろん重要ですが、10年後、20年後のことを想定して将来への道筋をつけていくスタンスで考えていきたいと思っています。
2つめは、従来の都市政策の考え方をリニューアルした「次世代型の」都市政策を考えることです。人口が増加し、経済が発展する状況のもとで構築されてきたこれまでの政策では、人口減少、経済停滞、複雑化の状況に対応できないことは明らかです。コンピュータの世界がコマンドを打ち込むCUI(キャラクターベース・ユーザ・インターフェース)から、マウスとアイコンによるGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)に進化したことによって爆発的な使用者の増加をもたらしたように、都市政策も使用者たるユーザー本位の政策にリニューアルするべきと考えます。また同時に、複雑なGUIを実現するためにはプログラミング工程がオブジェクト指向に進化したように、現在の複雑な政策課題を解決するためにはオブジェクト指向のような新たな思考法が必要と考えています。

 

私自身、現在もいろんな書物に手を出しているような状況で確固としたフレームができあがっていないのがなんとも頼りない状況ですが、おぼろげながらハーバーマスの「コミュニケーション的行為の理論」を問題意識の基底として、都市、郊外という空間構造における人々の「生活世界」のありようを考えていきたい、と思っています。