ランチャの思い出。 | F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

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70年代から業界で働き、F1総集編26年。ル・マン、パリ~ダカ、ツール・ド・フランスなど冒険好き。現場経験多数。基本は詩人だがレース関係が長いので、クルマ関係者だと思われている。
ちょっとおしゃれで、インテリジェントな、時々泣ける話を目指します。

12月のある土曜日、昔なじみの写真家菊池一仁さんと編集者椎橋さんがわが家にやってきた。そのワケは 椎橋さんが「ランチア・プリズマ・インテグラーレ」を所有しており、私に見せたいということでありました。

 

 

 私は今から30年前。1988年から1991年にかけて、このランチア・プリズマ・インテグラーレ(全く同色のランチャーブルー)を持っていた。

 

 椎橋さんは、元GENROQ編集長で縁あって車を手に入れ信用あるレストア屋さんでじっくりと直し、メンテナンスを重ねて、街乗りに利用していらっしゃる。

 

 この車、どういう車かと言うと、まず左ハンドルであること。5速マニュアルであること。四輪駆動車であること、しかも前輪が56%、後輪が44%と言う、やや FF に振った4 WD システムである。そして見た目は普通の端正な乗用車であるというのが特徴だ。エンジンは2リッターで115馬力5400回転を発生していた。

 

    (当時のアルバムやカタログを見る椎橋さん)

 

 私がこの車を選んだのは、当時フジテレビでAUTO倶楽部という前衛的なクルマバラエティ番組を企画構成していて、司会が古舘伊知郎さん、レギュラーメンバーが徳大寺有恒さんで、ル・ボランの清水さんにも出ていただいてました。

 

 その時代はラリー・カーとしてのランチャも大活躍。1988年に行ったケニアのサファリラリー、そこでランチャは優勝。後年フェラーリ F 1の監督になったチェザーレ・フィオリオがオーバー・ヒートしたランチャにミネラルウォーターをかけている姿を目の当たりにして、大笑いしたが、この88年の サファリは今も親しい尾関一カメラマンや平田勝両巨匠と一緒であったし、尊敬する二村保さんとは、ラリーのど真ん中でばったり会うという劇的な思い出もあった。

 

 

 

 まあそういうわけでランチャには、とてもシンパシーを持っていたからマイカーにしたわけで、当時はよくスーツを着て仕事をしていた。スーツに似合う紺色の乗用車ということでプリズマを選んだ。買ってすぐ NTT の自動車電話までつけてしまった。当時は仕事が多かったので、たくさん経費を使った方が、税金が安くなると信じて設備投資したわけです。

 

 

 

 AUTO倶楽部ではファンと一緒になって番組を作ろうということで冬の車山でロケをやりましたね。徳大寺さんも来ていたし、古舘さんも現場に入りたくさんのゲストを交えて収録をした。当然、僕のクルマも現場に持って行き、ロケ会場から宿に帰る「雪道下り」ではものすごい勢いで走って、快調だった。

 

 でも東京に帰ったらラジエーターホースが緩んだのか、青山トンネルで、ものすごい水蒸気爆発が起きて車は止まってしまった。他にも三宿の交差点のど真ん中で止まったりしたこともあって、2年で3回も大きなエンコが起きたのである。

 

 

 さすがに仕事に差し支えるので、この後はメルセデスの190に車を変えたが、それでも今、とても懐かしくこの車を思い出す。

 

 椎橋さんのランチャ・プリズマ・インテグラーレをしみじみと眺めて、「いいサイズだな」と思うし、マニュアルでシフトアップ、あるいはシフトダウンと運転を楽しんでいた自分がとても懐かしく思えた。

 

 この日は近くの公園で写真を撮ったり、また旧車レストアでおなじみの永澤さんがやっているカフェ「葉山時感」で車談義をしたりとても楽しい半日を過ごしたのである。

 

 

 

 シートはセニア製だったんだよね。あの頃はちょっと有名な女優さんでありますとか、そういった方々もお乗せした記憶もある。

 

 

 

 楽しさという意味で言えば、このランチャ・プリズマ・インテグラーレはとても思い出に残っているし、持っていて、幸せ感がありました。

 

 こういう車にまた出会いたいものだと思っています。

 

 じゃあまたね。

 

 バイバイ。