今も伝説として残る The Beatles は1962年の10月に英国でデビューしました。ビートルズは世界の音楽をガラリと変え、社会も変えていきました。
ビートルズは「地球に維新を起こした存在」だと僕は思っています。
1970年、僕は FM のフリーディレクターとして社会への第一を記します。
当時、出入りしていたのは、東芝音楽工業(東芝EMI)と言うレコード会社でした 。
ここに高嶋弘之さんという方がおられ大変お世話になりました。
高島さんはビートルズの初代ディレクターでした。
小説「父のアンテナ」で書いた通り私の生家は電器屋であり写真屋でありレコード屋でした。昭和歌謡も聴きましたが、ポピュラー音楽も、怒涛の如く聴いており、パット・ブーン、プレスリー、コニーフランシスなどに親しみました。その後クリフ・リチャードや、ヘレン・シャピロなどのシンガーが出てきます。その担当が高島さんだったわけで、やがてビートルズが、のんびりしたポップス界をひっくり返す強烈なサウンドで出てくるわけです。
日本でのビートルズのデビューは1964年2月の「抱きしめたい」でした。これは英国のデビューから1年と4ヶ月ぐらい遅れています。そのタイムラグはビートルズがあまりにもとんがり過ぎていて「すぐに出しても売れないだろう」という判断でした。
その経緯について高島さんの著書「ビートルズ!をつくった男」を読み、調べたかった。 また思い出多いフォーククルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」や由紀さおりの「夜明けのスキャット」なども高島さんがプロデュースした作品です。そのへんも興味津々。
根本的に、なぜ1970年にこだわるかというと、その頃の自分の行動を小説化しているからです。音楽の流れや、事象が間違っていないか、それも兼ねて読んだわけです。
「そんな時代、生まれていないよ。関係ないよ」
という人が多いと思いますが、今、世界を席巻しているロックミュージックはほぼ1970年代に成立し、あの時代みんなが、本物を求めギラギラしていた。基本中の基本的な時代。それを書きたいのです。
音楽もそうですが、レースの世界も1970年代のF1は今のようにシステマチックじゃなく人間の香りがした。
もう一つ言えることは、ビートルズといえども、放っておいてヒットしたわけではなく、高島さんたちは、例えば東芝の社員をマッシュルームカットにして、週刊誌で取り上げてもらう。高校生を使って電話リクエストをしてもらう。などの、営業努力をやりました。そんながむしゃらさも、あの当時の特徴です。
1972年、私はフォークグループの プロデュースをしましたが、ポニー・キャニオンに移られた高島さんにお世話になってレコードを出しました。また私がプロデュースしたサントリーのコマーシャルソングの出版権の面倒を見ていただいたり、大変お世話になった方です。
ミカバンドと仕事をしたり、イギリスで住んだりと、私の滅茶苦茶な人生の懐かしい入り口ともいえる1970年。そこに至るタイムトンネルを今、楽しんでおります。
このブログで、本の中身について細かく書くのも野暮なのでやめますが、
音楽業界とか、モノを売るとかについて興味のある方は、この本はお勧めです。
裕也さんじゃないけど、やっぱり人生はロックン・ロール!
じゃあまたね。
バイバイ。