川崎飛躍祭と市制記念試合のことも書いて行かないとなぁと思っている中で、こんな呟きを見つけました✋

 

改修前のメインスタンドってどんだけ懐かしいの(笑)・・・・

 

秀樹の全盛期の頃は、私もまだ小中学生で、オールスター水泳大会に運動会、ドリフのコント何かで、いつも見ていましたが、このYMCAあたりがピークでその後、自分が成長するにつれてメディアを通しても触れる機会が少なくなって徐々にフェードアウトしてい行きましたが、秀樹の歌はあの頃の時代の象徴として心に残っていました。

 

それが、川崎生まれの川崎育ちで秀樹のファンというカミさんと結婚したことで、ちょっとまた秀樹を思い出したりしていたら、ひょんなことから私の好きなサッカーで秀樹と再会しました。しかも、等々力で(笑)

(詳細はこちら↓をご覧下さい)

 

 

ここからまた秀樹を聴く様になりも接点が甦ってきました。

ある朝、洗面所でめまいを起こした私を見て、「秀樹が小脳梗塞起こした時と同じことを言っているから、絶対、病院に行かないとダメ」と言われ、市立病院に行って先生に珍しい症状を見つけてもらったのはラッキーでした。倒れられた後も、またコンサートに行ったり、偶然、同じホテルに泊まってプールや朝食で近くに座っていたなんてこともあって、勝手に身近存在に感じていたりしたので、亡くなった時には、「昭和が終わった」じゃないですが「俺たちの時代も終わりか」と寂しさで一杯でした。

 

でも、それをフロンターレが共有してくれました。秀樹の追悼試合となった清水戦、ケンゴのゲッツのあとのYMCAとゲームセットの笛と同時に青空にケンゴが掲げた喪章は忘れられません。その後も、こういうかたちで毎年、好きだった秀樹をフロンターレと一緒に等々力で思い出して、みんなで感謝を込めてリスペクト出来るというのは、何かホントに・・・

何か、全然関係の無いようなところで繋がるとは、人の縁とはホントに不思議だなと、感じざるを得ません。

 

 

では、また。